民衆の管理
戸籍・計帳
政府は、全国の人民を戸籍(こせき)・計帳(けいちょう)に登録することによって、
律令体制を末端にまで浸透させようとした。
参考内部リンク
改新の詔を参考
戸籍
戸籍は,戸を単位として人民一人一人を詳細に登録したもの。
6年毎に作られた。
戸を単位とした
課役、良賤身分の掌握、氏姓の確定、
兵士の徴発、班田収授などの基本台帳となった。
一般の戸籍は5比(30年)を過ぎると廃棄されたが、
庚午年籍は氏姓を正す根本台帳として永久保存された。
計帳
計帳は、調・庸を徴収するための基礎台帳。
全国の課口数の推移を把握するためのもので、毎年作り替えた。
家族制度
人民は「編戸の民(へんこのたみ)」と呼ばれ、
次の戸に組み入れられた。
里と郷
戸50を持って里(り)が編成。
奈良時代になると里は郷(ごう)に改められ、
その下に5戸をもって構成する保(ほ)が設けられた。
郷戸
郷戸(ごうこ)は50戸1里制の戸。
里の下にある班田や租税負担の単位としての家族。
租税を納めるのも、個人個人が行ったのではなく、
郷戸主(ごうこしゅ)を通じてやりとりなされた。
父系血縁で結合された複合大家族。
寄口(きこう)と呼ばれた没落した良民や、
奴婢(ぬひ)が含まれるように編成。
下の房戸が集まった大家族。
房戸
房戸(ぼうこ)は実際の生活を行う単位の小家族。直系親族集団。
土地制度
班田収授法
唐の均田法にならって導入。
口分田
すべての既墾地は口分田として班給された。
男女・良賤によって分別された。
口分田の収授は「6年1班」と呼ばれるように戸籍作成と同じ。
6年の間に死亡したものから口分田を収公し、
受田資格を得たものに班給した。
つまり、誰かが死んだ場合、
班年までの間、家族の他の誰かが支払わなければならないということである。
良民(賤民の官戸・公奴婢も同じ)
6歳以上の男女に口分田(くぶんでん)を与えた。
良民(りょうみん)男子には2反(たん)。
当時1反は360歩(ぷ)、10反は1町(ちょう)。
良民女子は良民男子の2/3の1反120歩。
賤民(家人・私奴婢のみ)
賤民男子は良民男子の1/3,
賤民女子も良民女子の1/3だから、
賤民男子は240歩、賤民女子は160歩。
乗田
乗田(じょうでん)は口分田を分け与えて余った土地。
公田(こうでん)とも。
国司の権限で、借地料をとって貸し出された。
この賃貸借を賃租(ちんそ)という。
収穫の1/5を借地料のことを地子(じし)という。
輸租田
輸租田(ゆそでん)とは税を納めないといけない田。
口分田や郡司職田。
不輸租田
不輸租田(ふゆそでん)は税を納めることを免除された非課税枠の田。
寺田(じでん)、神田(しんでん)、乗田(じょうでん)、職田(しきでん)。
郡司職田だけは輸租田。
土地区画法
条里制
条里制(じょうりせい)とは
班田に便利なように土地を整然と区画したもの。
~条○○里△△ノ坪というふうに示した。
その他
許可さえあれば売買も可能な土地。
園地
畑地。
宅地
屋敷地。
租税制度
租
租(そ)は生産された稲穀の一部を国家に納める税目。
租は公定収穫量の約3%の2束2把(ーそくーわ)/反で、
国衙に納めた。良民男子は4束4把納めた。のちに反あたり1束5把に変更された。
庸
庸(よう)はもともと歳役(さいえき)と呼ばれる都で10日間働く労役で、
その代わりに布を2丈6尺(ーじょうーしゃく)を納めさせるものであった。
都に納めた。
調
調(ちょう)はそれぞれの地域の特産物。
塩や鉄など地方の特産物を現物で都に納めるもの。
運脚
運脚(うんきゃく)は、庸や調などの貢物を中央までわざわざ運搬する人夫役の負担。
木簡
木簡(もっかん)は、庸や調などにつけられた納入者を示す荷札。
雑徭
雑徭(ぞうよう)は国司のもと、
年間60日を限度に土木事業に従事すること。
本当は40日で終わる仕事も60日ギリギリまで働かせた。
農民にとっては重い負担だった。
出挙
出挙(すいこ)は春に種籾を貸し与え、
秋の収穫時に利息とともに返済させる制度。ローン制度。
国家が行う利息5割のちに3割の公出挙(くすいこ)のほか、
民間が行う利息10割の私出挙(しすいこ)もあった。
しかし、一般に出挙といえば公出挙である。
義倉
義倉(ぎそう)は凶作に備えて、
粟を貯えておく制度。
仕丁
仕丁(しちょう)は正丁(せいてい、21~60歳の成年男子)を1里50戸ごとに2人の割合で集めて、都の官庁で雑役として、造営などの労働力として従事。
年齢区分
少丁
17歳~20歳までの成年男子を
少丁(しょうてい/中男ちゅうなん とも)と言った。
庸が免除された。
正丁
21歳~60歳までの成年男子を正丁(せいてい)と言った。
次丁
61歳~65歳までの男子を次丁(じてい)と言った。老丁とも。
兵役制度
各国に設置された兵士の集団を軍団という。
人民にとって大きな負担となった。
軍団制
軍団制(ぐんだんのせい)とは各国に設置された兵士の集団を置くこと。
正丁3〜4人に1人の割合で兵士を徴発。
訓練されて、軍団は3〜4郡に一つずつ置かれて、全国では140を超えた。
訓練を受けた兵士は、衛士(えじ)となり、
1年間の任期で都で宮城や京内の警備にあたったり、
防人(さきもり)となって大宰府に赴き、3年間の任期で、九州防衛にあたったりした。
身分制度
人々は国家によって、
良民(りょうみん)と賤民(せんみん)にわけられた。
良民
公民(一般農民)と皇族貴族の支配階級、
公民よりも一段低い品部と雑戸がある。
品部・雑戸
品部(しなべ/ともべ)と雑戸(ざっこ)は、
賤民ではないが半自由民で、特殊技術をもち、工房で働き、手工芸品を納入した。
賤民
賤民には5種類あり、五色の賤(ごしきのせん)と総称された。
官有賤民(3種類)
私有賤民は、
良民男女の3分の1の口分田が与えられた。
陵戸
陵戸(りょうこ)は課役の納入ではなく、
天皇の陵墓の墓守りにあたるもの。
官戸・公奴婢
官戸(かんこ)と公奴婢(くぬひ)は官有で公的雑務に使役された。
公奴婢は戸の形成を許されず、売買の対象となった。
私有賤民(2種類)
家人・私奴婢
家人(けにん)と私奴婢(しぬひ)は民間私有で私的雑務に隷属された。
私奴婢は戸の形成を許されず、売買の対象となった。
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