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弥生時代

出雲にやってきた「保食神」~新羅の策略と月読尊による暗殺事件~

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イザナギ率いる筑紫王国軍(邪馬台国軍)の侵攻を、新羅(斯盧国)の援軍を得て見事に撃退した出雲王国。 しかし、その勝利の裏で、新羅による恐るべき「出雲乗っ取り計画」が静かに進行し始めていました。

日本神話において、口から食物を出したことで月読尊に斬り殺されたとされる「保食神(うけもちのかみ)」。この記事では、保食神の歴史的な正体と、出雲にもたらされた最新の農業・漁業技術、そして彼が暗殺されるに至ったリアルな政治的背景を詳しく解説します。

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敗戦後の出雲へ!新羅が送り込んだ農業・漁業の専門家

紀元225年頃、イザナギの軍勢が出雲から敗退した直後、新羅の奈解(なかい)王は出雲に対して「保食神(うけもちのかみ)」という人物を代官として送り込んできました。

保食神は、単なる高級官僚ではなく、農業や漁業の「最新技術の専門家」でした。新羅の真の目的は、出雲の農業・漁業の生産力を飛躍的に向上させることで民衆の信頼を勝ち取り、最終的に出雲国全体を新羅の支配下に組み込むという、遠大な平和的乗っ取りの策略だったのです。

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高浜宮での技術指導と出雲の国力増大

保食神は、多数の専門家や労働者、専門書、そして多数の牛馬を船に乗せて出雲へやってきました。ちなみに、海を渡る際に牛馬が暴れないよう「目隠し」をするという技術が用いられ、これが日本列島に牛馬が普及するきっかけになったと考えられています。

出雲に到着した保食神は、曾川流域の「高浜宮(現在の高浜神社)」と「片方宮(現在の片方神社)」を拠点とし、まるで現代の農業・漁業の専門学校のような体制を築きました。そして約2年間にわたり、以下のような最新技術を熱心に指導・普及させたのです。

  • 牛馬の飼育と使役方法
  • 稲の新品種や、麦・粟・稗・大豆・小豆の新式栽培法
  • 桑の栽培と養蚕、絹織物の織り方

これにより、出雲の生産力と経済力は格段に強化されていきました。

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危機感を抱いた月読尊の出雲行き

出雲の国力増大を最も警戒したのが、邪馬台国のナンバー2であり、伊都国で海上防衛(一大率)を担っていた「月読尊(ツクヨミノミコト)」でした。 「このままでは、出雲が強大な軍事力を持って筑紫を脅かすことになる」と考えた月読尊は、首都の高天原へ赴き、姉である女王・卑弥呼(アマテラスオオカミ)に「出雲へ視察に行かせてほしい」と直訴します。

卑弥呼はそれを許可しましたが、彼女は平和的な解決を望んでいました。「保食神の指導で出雲が豊かになっているなら、筑紫にも来て技術指導をしてくれるよう頼んでおいで」と、月読尊に交渉を託したのです。

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交渉決裂と保食神の暗殺~月読尊の凶刃~

月読尊は数十人の武者を連れて出雲の高浜宮へ赴き、保食神と対面しました。 神話では「保食神が口から海山の幸を出して月読尊をもてなした」と描かれますが、これは「口=開墾地」を意味し、保食神の指導で開墾された出雲の土地で採れた豊かな海山の幸(ごちそう)で接待を受けた、というのが歴史的な実態です。

月読尊は保食神に対し、「筑紫へ来て技術指導をしてくれないか」と卑弥呼の言葉を伝えます。しかし保食神は、「自分は新羅王の命令で出雲のために働いている。新羅王の命令がなければ筑紫へは行けない」と頑なに拒否しました。力ずくで連行しようと脅しても、保食神は首を縦に振りません。

この強固な態度を見た月読尊は、「この男をこのまま生かしておけば、出雲は完全に新羅の領土になってしまう」と判断し、腰の剣を抜いて、その場で保食神を斬り殺してしまったのです。

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まとめ:暗殺がもたらした波紋

月読尊による強引な暗殺事件により、新羅による出雲の平和的乗っ取り計画は阻止されました。 しかし、交渉による平和的な技術導入を望んでいた女王・卑弥呼にとって、この凶行は到底許容できるものではありませんでした。月読尊が逃げ帰って報告をすると、卑弥呼は激怒し、二人の関係は決定的に決裂することになります。 保食神の死は、邪馬台国の中枢に姉弟の対立という新たな火種を生み出す結果となってしまったのです。

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