紀元212年頃より、新羅(新羅国)に人質として渡っていたスサノオ。 彼はどのような経緯で日本列島へ戻り、そして母の待つ出雲へと帰還したのでしょうか。この記事では、スサノオの帰国に向けた母・イザナミの切実な願いや、彼がたどった帰還ルート、そして姉であるアマテラスオオカミ(卑弥呼)との感動の再会について詳しく解説します。
母・イザナミの願いと出雲の跡取り問題
出雲の女王・イザナミは、新羅へ使者を遣わし、スサノオを出雲へ返してほしいと頼み込みました。 イザナミにとって、スサノオは三男一女の末っ子であり、目の中に入れても痛くないほど可愛い存在だったのです。さらに、出雲王国の跡取り問題も背景にありました。イザナミの弟である木坂美高彦は、人が良く穏やかな性格の典型的な出雲人であり、戦争や謀略には不向きでした。強大な筑紫王国と対峙するためには、豪胆な性格を持つスサノオに国を託すしかないとイザナミは考えたのです。
新羅・奈解王の承諾とスサノオの成長
出雲からの臣従の誓いを受けていた新羅の奈解(なかい)王は、このイザナミの要請を快諾します。 人質として新羅へやって来た当初、スサノオはわずか4〜5歳の幼児でしたが、それから十数年が経ち、20歳に近い立派な青年へと成長していました。新羅王家は人質であるスサノオを冷遇するどころか、異国からの賓客として王族の師弟と同様に大切に育てていたのです。学問や武芸、詩歌管弦まで習得したスサノオは、新羅王家に対して深い感謝の念を抱いていました。
帰国のルートと伊都国(一大率)での入国手続き
出雲への帰還を許されたスサノオですが、すぐに出雲へ直行することはありませんでした。当時、父イザナギと母イザナミは戦争状態にあり、勝手に出雲へ向かえば父を敵に回すことになると考えたからです。父が東方遠征で不在だったため、彼は姉のアマテラスオオカミ(卑弥呼)に会って許可を得ようとします。
スサノオは船で南下し、末盧国(現在の唐津市付近)に上陸しました。その後、陸路で伊都国(福岡県糸島市)へと向かい、一大率のもとで入国手続きを行います。一大率は異国からの船や人の出入りを監視する機関であり、ここでの手続きを経てようやく邪馬台国を中心とする筑紫連合国(倭国)への入国が許されたのです。
高天原での姉・アマテラスオオカミとの再会
伊都国から奴国を経て、スサノオはついに高天原(邪馬台国)の宮殿へと到着します。 出迎えたのは、当時20代前半で太陽神に仕える大日女(巫女)として美しく輝いていた姉・アマテラスオオカミ(卑弥呼)でした。
スサノオが「やましい気持ちは一切なく、ただ姉君に挨拶をしたいだけです」と申し出ると、アマテラスオオカミは十数年ぶりの弟との再会を大いに喜びました。スサノオが母の希望に沿って出雲へ向かいたいと伝えると、姉は大きく頷き、彼を許します。そして、「出雲の政治を補佐すること」「筑紫と出雲が再び合戦にならないようにすること」、そして「両国の恒久の平和のために努力すること」をスサノオに固く命じたのです。
まとめ:故郷・出雲への帰還
アマテラスオオカミとの約束を交わしたスサノオは、数日後に高天原を出発し、奴国を経て博多湾から船で出雲へと向かいました。日本海を20日程度かけて航海し、ついに出雲へとたどり着きます。 大喜びで出雲の地を踏んだスサノオは、母イザナミの待つ佐太宮(現在の佐太神社)へと入っていったと考えられます。
新羅での人質生活を経て、立派な青年武将として成長したスサノオ。彼の帰還は、出雲王国に新たな希望をもたらすとともに、日本古代史における激動の幕開けとなるのでした。




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