スポンサーリンク
鎌倉時代

鎌倉幕府の3つの役所~侍所・公文所・問注所~

鎌倉時代
この記事は約2分で読めます。
スポンサーリンク

1180年、鎌倉に入った源頼朝は役所づくりをはじめる。

スポンサーリンク

侍所

士団を御家人として編成するために侍所(さむらいどころ)を設置します。
文字通り侍、つまり、御家人を統率するための役所です。

別当

侍所の長官職を別当(べっとう)といい、
初代別当をつとめたのは、和田義(わだよしもり)です。

所司

別当を支えた補佐役を所司(しょし)といいます。
初代侍所所司に就したのが梶原景時(かじわらかげとき)でした。

スポンサーリンク

十月宣と東国沙汰権

源頼朝は東国に新しい政権を作るための基盤として、
なんとしても朝廷に支配権を周知のものとする必要があります。
そこで、京都にアプローチした結果、
法皇から1183年の十月宣旨によって、
道と東山道の支配権を認められました。
これを東国沙汰権といいます。

沙汰とは?
「沙汰」というのは歴史用語で支配という意味です。
ex)地獄の沙汰も金
スポンサーリンク

公文

翌1184年には、一般財政を扱う公文所(くもんじょ)を設置しました。
公文所は1191年に政所(まんどころ)に吸収されていきます。

 別当

公文所の長は、別当と呼ばれます。
初代別当には公家出身の大江広(おおえのひろもと)が就いています。

スポンサーリンク

問注所

裁判事務を担当する問注所(もんちゅうじょ)を1184年設置します。

執事

問注所の長官を執事(しつじ)と呼びます。長官職の呼び方に注意が必要です。
初代問注所執事には、公家出身の三善康信(みよしやすのぶ)が就任しました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました