鎌倉時代には、
朝廷の方でも動きがあります。
話は変わりますが、
貴族の色って、紫色ですよね?
最近、緑色の方ばかり中継されますが、
紫色の原料や普通の青色の原料も貴重だったので、
紫色と青色も位が高い色なのに。
話を戻して、
今日は藤原北家の分裂について扱います。
昔の農民には必要がない知識ですが、
今の受験生には必要な知識ですよ。
藤原北家とは?
藤原北家とは、
藤原不比等の息子たち四兄弟である藤原四子の中の次男である藤原房前が建てた家でした。
さらっと復習すると、
https://歴史総合.com/%e5%b5%af%e5%b3%a8%e5%a4%a9%e7%9a%87%e3%81%ae%e6%99%82%e4%bb%a3/
まず、嵯峨天皇の時代までは、
三男の藤原宇合が創設した
藤原式家にパワーバランスは傾いていましたが、
平城太上天皇の変(昔風に言うと薬子の変)で、
藤原北家の藤原冬嗣が活躍したため、
藤原北家がその後の藤原氏の中心になっていきました。
藤原道長や藤原頼通なども、
藤原北家の藤原氏です。
その藤原北家が勢力を握ったかと思いきや、
偉大なる藤原氏当主が出てこなかったので、
子孫が分裂していきます。
摂関家(五摂家)の成立
鎌倉時代には藤原北家が5つに分裂します。
- 近衛家
- 九条家
- 鷹司家
- 一条家
- 二条家
の5つに分裂しました。
この5つの家を五摂家といいます。
藤原北家は、
まずは、近衛家と九条家に分裂しました。
近衛家では、藤ではなく、牡丹が家紋にあしらわられています。家紋は近衛牡丹。
九条家では、藤のままです。九条藤です。
そして、近衛家から、
分家として鷹司家が成立します。
鷹司家も家紋は鷹司牡丹です。
また、九条家も分家ができてきまして、
一条家と二条家が成立しました。
かくして、このような名字の人を見ると、
ガチ貴族あるいはお公家さんなのだなぁ。という、
公家of公家の名字です。
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