7世紀後半から8世紀初頭にかけて、天武天皇・持統天皇のやる気にあふれる政治さながら、文化も初唐文化などの外国の影響を受けた活気ある清新な文化。
神道と仏教
これらの整備・統制により、朝廷は国家の精神的支柱を確立した
神祇制度
神祇制度は、じんぎせいど、と読む。神道に関わる行事。
大嘗祭
天皇が即位後行う、新嘗祭「大嘗祭(だいじょうさい)」は天武天皇・持統天皇の時代に始まった。新嘗祭(にいなめさい)は天皇が秋の新穀物を神に捧げる行事。現在の暦で勤労感謝の日に行われる。
式年遷宮
伊勢神宮には皇祖神である天照大御神(アマテラスオオミカミ/天照大神・アマテラスオオカミとも)が祀られている。天武天皇の時代に、20年毎に伊勢神宮を建て替える式年遷宮(しきねんせんぐう)が決定した。
国家仏教への統制
藤原京四大寺建立
官立の大寺建立。
- 大官大寺(だいかんだいじ)・・・百済大寺を改めたもの。平城京遷都とともに大安寺に改称され、京内に移された。
- 薬師寺(やくしじ)・・・天武天皇の皇后の病気平癒のため建立された。
- 川原寺(かわらでら/のちの弘福寺・ぐふくじ)
- 法興寺(ほうこうじ)
仏教の高まり
金光明経などの護国経典を説く法会が全国で行われた。地方豪族でも氏寺を建立する傾向が強まり、692年調査では全国に545ヶ所の諸寺があったと言われる。
建築
法隆寺再建
飛鳥時代の様式に基づいて再建された。法隆寺の金堂・五重塔・中門・歩廊が有名。
薬師寺東塔
薬師寺東塔(ーとうとう)は、六重の塔に見えるが、三重塔である。屋根と屋根の間にある庇は裳階(もこし)と呼ばれる。明治初期に来日したフェノロサは薬師寺東塔頂上の水煙(すいえん)を見て、「凍れる音楽」と形容したことで知られる。
日本最古の仏教建築遺構
山田寺(やまだでら)は蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ)が創建した寺。1982年、山田寺の東側の回廊が西側に倒れた状態で発掘された。7世紀中ごろに横倒したまま残っていた。法隆寺が再建されたものと確実になった今、東回廊は現存する日本最古の建築物である。東回廊は科学的保存処理が施され、1997年から奈良国立文化財研究所飛鳥資料館において展示・公開されている。
彫刻
興福寺仏頭
伸びやかで若々しいのが特徴。もとは山田寺の薬師三尊像本尊の頭部。傑作。
薬師寺
- 金堂薬師三尊像・・・金銅像。柔らかさと堂々さ、威厳が特徴。
- 東院堂聖観音像(ーしょうかんのんぞう)・・・金銅像。美しさでは比類なし。
法隆寺
- 阿弥陀三尊像
- 夢違観音像(ゆめたがいかんのんぞう)
絵画
法隆寺金堂壁画
アジャンター石窟壁画や中国の敦煌石窟壁画の様式を取り組んだ傑作。1949年の火災で大部分が消失。それを受けて、1950年、文化財保護法制定。1968年文化庁が設置された。
高松塚古墳壁画
1972年奈良県明日香村で発見された。石室の天井の星宿(せいじゅく)。壁画に四神や男女群像を極彩色で描いたもので、高句麗の古墳壁画の影響を受けている。朱雀は盗掘口により破壊されている。
四神
四神(しじん)は東西南北の四方の四神。東西南北の順にそれぞれ、青龍(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)となる。
キトラ古墳
古墳壁画としては唯一の朱雀を含む四神が全体描かれている。現在、壁画を剥ぎ取って保管されている。
文学
和歌
本格的に和歌が成立。
万葉集には斉明天皇や額田王(ぬかたのおおきみ)らの和歌があり、また、持統天皇・文武天皇の時代に歌聖(かせい)と称された柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)も現れた。彼らは万葉歌人と呼ばれる。
漢詩
大津皇子と大友皇子が活躍。奈良時代の日本最古の漢詩集・懐風藻(かいふうそう)にも彼らの漢詩は見られる。
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