版籍奉還~その意味と行った理由~

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明治時代
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版籍奉還は1869年7月に政府が布告した行政改革のことです。

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版籍奉還とは?

土地と人民を天皇に返すことです。

版籍とは?

  • ・・・版図(はんと/支配領域のこと)
  • ・・・戸籍(人民のこと)

版籍奉還の思想

王土王民論

すべての土地とすべての民は国王のものだ!
という考え方。

大化の改新~改新の詔~
当サイトでは、大化の改新を乙巳の変と改新の詔に分けております。改新の詔の要点は、公地公民制で国土と国民は天皇のものになったこと、国郡里という行政区画を作ったこと、戸籍が作られるようになったことや租庸調をはじめとする税制の変更などがあげられます。

大化の改新の公地公民制もその考え方に基づきます。

版籍奉還の中心人物

薩摩藩出身の大久保利通と、
長州藩出身の木戸孝允でした。

版籍奉還の流れ

版籍奉還の建白書(薩長土肥の返還)

大久保利通と木戸孝允の強い勧めによって、
薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩の四藩が連名で、
天皇に版籍奉還の建白書を提出しました。

その後、他藩に先んじて版籍奉還しました。

各藩の説得者

  • 薩摩藩(藩主・島津忠義しまづただよし)…大久保利通
  • 長州藩(藩主・毛利敬親もうりたかちか)…木戸孝允
  • 土佐藩(藩主・山内豊範やまのうちとよのり)…板垣退助
  • 肥前藩(藩主・鍋島直大なべしまなおひろ)…大隈重信おおくましげのぶ

版籍奉還の建白書の内容

「願くは朝廷其宜そのぎに処し,その与ふきはこれを与へ,其奪ふ可きは之を奪ひ,およそ列藩の封土さらよろしく詔命を下し,これを改め定むべし。」

版籍奉還の建白書

 

他藩の申し出とその理由

薩長土肥の4藩が手本を見せると、
ほかの藩主も奉還を申し出ました。

申し出の理由

なぜ自分の土地と民を手放したのでしょうか?
それには3つの原因があります。

①借金の肩代わり

ほとんどの藩が、幕末に財政が悪化していました。
そこで、新政府が借金を肩代わりしてくれるものと思い、
奉還を申し入れに至ったのでした。

②知藩事

藩主は肩書を知藩事と改めただけで、
依然として、藩政を継続していました。

③家禄の継続

藩主は、知藩事と名を変えたあとも、
華族という称号を受け取り、
従来通り、家禄かろくも従来通り10分の1を受け取ります。

家禄の意味

家禄とは、元々の俸禄の代わりに、
版籍奉還のとき、華族・士族・卒への政府が与えることになった代々続く禄米のことです。

米で支給されて、
もとの禄米より大幅に減りました。

まとめ

版籍奉還では中央集権にはなりませんでした。
次の廃藩置県に続きます。

廃藩置県(1871年)-中央集権国家に向けて-
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