有田中井手の戦いの背景
武田元繁の独立
中国地方の多くの武将は、
大内義興に従っていました。
1515年、武田元繁は、
大内義興より独立します。
安芸有田城攻略
大内義興の配下で、
毛利家当主・毛利興元は、
武田元繁配下の安芸有田城を奪います。
城は、大内義興より吉川元経に与えられました。
毛利興元の死
毛利家当主だった毛利興元は、
1516年に亡くなります。
跡を継いだのは、
幸松丸でしたが、
まだ2歳と幼い子どもでした。
有田中井手の戦い
武田元繁の有田城攻め
武田元繁は、毛利興元の死後、
大内義興が留守の隙に、
安芸有田城を攻めました。
毛利元就の初陣
1517年10月22日、
毛利家の庶家・毛利元就は、
武田元繁の軍勢に襲いかかり、
兵力は劣勢ながらも幸松丸を支え初陣を飾りました。
武田元繁は、流れ矢にあたり、戦死します。
有田中井手の戦いのその後
のちに「西国の桶狭間」といわれる有田中井手の戦い(有田合戦)は、
安芸武田氏の衰退と毛利氏の隆興の
きっかけとなった戦いになりました。
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