スポンサーリンク
戦国武将戦国時代

毛利元就、家督をつぐ~大内・尼子の間をめぐり~

戦国武将
この記事は約1分で読めます。
スポンサーリンク

スポンサーリンク

毛利氏、尼子久につく

毛利氏を始めとする安芸国人衆は、
1523年6月に大氏の安芸国の拠点・山城を落とした
尼子経久に従っていました。

スポンサーリンク

幸松丸の死

1523年7月15日に9歳で幸松丸は夭逝しました。

スポンサーリンク

毛利就の督継承

1523年8月10日、
毛利弘元の庶子・毛利元就が主家の家臣15人の推戴を受け、
猿掛城から吉田山城に入り、毛利氏の家督を継ぎました。
尼子氏から毛利氏の当主として招くという声もありましたが、
志道広良や井元兼らの尽力で、
https://xn--mprwb863iczq.com/%e6%af%9b%e5%88%a9%e5%85%83%e5%b0%b1%e3%81%ae%e5%88%9d%e9%99%a3/
で、功のあった毛利元就を主君として仰ぎ見ることとなりました。

スポンサーリンク

元綱事件~尼子氏の陰謀~

1524年、家臣の渡辺勝・坂広秀らが
尼子氏と結び、毛利元就の異母・相合元綱を擁立する陰謀が発覚します。

これを元綱事件といいます。
毛利元就はらを先に討ったあと、
1525年に大内氏方に再度寝返りました。

Related Posts

No tags for this post.

コメント

タイトルとURLをコピーしました