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平安時代後期

武士団の結成~武士の台頭と貴族の衰退のはじまり~

平安時代後期
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前回

後三条天皇による「延久の荘園整理令」
藤原道長の子、藤原頼通と藤原教通には子どもができませんでした。そんな中、藤原氏と血縁関係が薄い後三条天皇が即位します。後三条天皇は藤原氏の荘園を減らし、藤原氏の勢力を減らすために、荘園整理令を出します。藤原氏の摂関政治は力を失っていきます。

の続きです。

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武士団

つわもの(

都では、武力で朝廷に仕える人々があらわれました。
方でも、有力農民や地元の公の職に勤める
在庁官人と呼ばれる人々のなかに、
武装するものもあらわれてきました。
こうした人々を兵(つわもの)とよびます。

武士団

兵のーダーが棟梁(とうりょう)です。
(いえのこ)とよばれる一族、
郎党(ろうとう)とよばれる従を率いて、
武士団を形しました。

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武士団の特徴

東国はの産地でした。
そういう訳あって、弓馬が上な武士が多かったのです。

西

内海のような海がある関係上、
船団を組んだ武士、つまり、海賊が多かったのです。

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大棟梁

各地にできた小さな武士団は、
やがて大きな武士団へと統合されていきます。
その大きな武士団の棟梁とされたのが、
と源氏なのです。
平氏と源氏は、
武士でありながら、
桓武天皇清和天皇という
天皇の権を借りて、
自らを権威建てようとしました。
この桓武平氏

和源氏

武士団の二大棟梁なのであります。

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