明治時代の宗教政策~神仏分離令と廃仏毀釈~

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神仏分離令

1868年、神仏分離令がでます。

神仏分離令とは、神仏習合を否定したものです。

神仏習合とは?

ではなぜ、神仏習合を否定して神仏分離にしようとしたのでしょうか?

王政復古の大号令というものがでました。

江戸幕府の滅亡~大政奉還と王政復古と徳川政権の終わりの理由~
第15代将軍は坂本龍馬の船中八策を受け継いだ公儀政体論に基づく土佐藩の進言を受け入れ、天皇へ大政奉還をします。しかし、徳川中心の公儀政体論に反発した岩倉具視は薩長に討幕の密勅を出します。さらに、王政復古の大号令をだし、幕府を認めず、徳川慶喜から官職と領土を奪うことを宣言し、徳川との対決姿勢を鮮明にするのでした。

王政復古とは「諸事神武創業ハジメモトヅキ」と王政復古の大号令が始まるように、原点に立ち返って、政治を行おうというものでした。

神仏習合とはその名の通り、神様も仏様もまぜこぜで大事にしようというものでした。すでに日本の多くの神社・仏閣は当時混在しており、主要な神社には寺も、主要な寺には神社もセットで世間に打ち出されていました。

廃仏毀釈

神仏習合を否定して、国家神道という神道の国教化を図りました。
結果として起こったのが廃仏毀釈です。

廃仏毀釈とは、仏教の排斥運動のことです。寺や仏像、仏具、経典などが破壊されつくしました。仏教界は大打撃をこうむりました。

「神祇官」の復活

行政組織の中に神祇官が復活します。これには仏教僧はいれませんでした。

太政官制の設置と藩閥政府
廃藩置県後、中央集権体制を強めるために太政官制改革が進められ、正院・左院・右院の三院制となりました。

大教宣布の詔

1870年、政府は神道の国教化を目指して、大教宣布の詔をだした。

国家神道化の失敗

明治政府は神道を国教に定めようと、仏教やキリスト教を弾圧しますが結果としては神道一点だけにはなりませんでした。

島地黙雷による仏教復興運動

浄土真宗の僧侶・島地黙雷たちが独自に仏教を盛り立てていく運動をおこしました。

キリスト教高札禁止令の撤廃

浦上教徒弾圧事件

キリスト教は五榜の掲示でも禁止されていました。

長崎では強制的にキリシタンを改宗さしせまる事件が発生します。
これを浦上教徒弾圧事件といいます。

欧州列国はキリスト教の弾圧に激しく抗議したため、条約改正に著しく不利になると考えた政府首脳陣は1873年、キリスト教禁制の高札が撤廃されました。

 

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