北条義時は承久の乱の勝利後、
大土地持ちとして君臨して、
日本全国の土地について
監督することになります。
承久の乱後の戦後の土地没収
承久の乱後、
北条義時は後鳥羽上皇に属した主に西日本の公家・武家領約3000ヶ所を没収しました。
新補率法と新補地頭
承久の乱後の北条義時がゲットした土地に対して、
北条義時は新補率法を制定します。
その新補率法の元、主に西日本に対して新しい地頭が就任します。
これを新補地頭といいます。
本補地頭
新補地頭と本補地頭の違い
本補地頭領の特徴
本補地頭は、
1185年に設置された由緒正しき地頭です。
ちなみに謀反人というのは、
復習ですが、
- 梶原景時
- 比企能員
- 畠山重忠
- 和田義盛
らの北条氏と敵対した人たちのことですよ。
得分である法的根拠はありません。
伝統的価値観で決まってます。
本補地頭領では、
反別五升の兵粮米の納税が義務付けられました。
新補地頭領の特徴
新補地頭領は承久の乱で獲得した領土に対して、
派遣された比較的新しい地頭の田んぼ。
元の土地は没収公家や武家領3000ヶ所などです。
得分はもちろん、新補率法です。
反別五升の加徴米です。
大田文
北条義時はデータマニアでした。
そのため、北条義時は土地台帳として、
大田文をまとめました。
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