さて、筆が乗ってるので、
家康の話を進めていきますね。
松平元信、築山殿との婚儀
1557年1月15日、松平元信(16歳)は今川氏の重臣・関口義広の娘・築山殿(瀬名姫)の婚儀が駿府の今川館で執り行われました。
築山殿の年齢は?
築山殿の年齢は6歳上だとする説が有力です。つまり、21歳頃だったと思われますね。
当時の戦国時代では20歳を越えて嫁に行ってないのは行き遅れと言われており、
家康に押し付けた側面は否定できません。
家康はその後も嫁をしょっちゅう押し付けられます。
が、家康はモノ好きなので、だいたい受け入れてしまいます。
家康(元信)の婚儀の意義
家康は今川家の重臣・関口義広の娘と結婚しました。
しかも、関口義広の母は今川義元の妹。
家康は築山殿との婚約で、
家康は今川家一門格の部将となりました。
これは今川氏にとっても、
松平氏にとってもめでたいことで、
非常に祝福ムードとなりました。
そんな1月15日。いい年末年始になった可能性もありますね。
(当時は太陰暦が主流)
政治的にも。若かりし、本人たちにも。
松平元信→松平元康へ改名
この婚姻で家康は祖父・松平清康にあやかって、
信長の信の字を捨て、名前を元信から元康へときっぱり改名しました。
家康と築山殿の夫婦仲は?
今川氏の一方的な押し付けだという批判もありますが、
夫婦仲はかなり良かったようで、
夫婦円満だと言われています。
家康はアネサン女房派として知られています。
2人の間には、嫡男・信康と亀姫が生まれています。
関口義広とは?
瀬名姫(築山殿)の実父・関口義広は元は瀬名氏貞の次男として生まれました。
その後、今川宗家の重臣・関口氏に養子入りします。
そして、今川義元の妹と結婚したそうです。
関口氏は現在の愛知県豊川市音羽町にある
三河国宝飯郡関口郷を本拠としています。
関口氏は今川義元の代に、
持舟城(用宗城/静岡市)を守っていたとされます。
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