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徳川家康戦国時代

松平竹千代(→松平元信)の元服in駿府…今川氏の部将に。

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さてさて話は進んで、
竹千代が元服して松平元信になる話です。

松平元信は14歳で今で言う「大」になります。

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松平元信の元服式

1555年3月、
三河岡崎の城主になった松平竹千代(のちの徳康/14歳)は、
駿すんぷ(現在の静岡)の今川で元服しました。

竹千代は元服して、松平次郎三郎元信じろうさぶろうもとのぶとなりました。
元信の「元」は今川義元から与えられたいみな

今川氏の通し字は、
「範」や「氏」。
今川義元は今川家の中でも結構イレギュラーなです。

各、元服の儀は

  • 加冠の役…今川義元(37歳)
  • 理髪の役…関(のちの嫁の父)

が務めました。

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一方、留守の岡崎城は?

鳥居忠吉とりいただよしが岡崎城の留守を預かっていました。


鳥居忠吉は家康の岡崎城留守中にせっせと蓄財し、
のちの家康を助けることとなります。

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家康の所在

家康は元服する前までは、
三河吉田(豊橋市)にいたという説もあります。

元服に駿府で過ごしたとする説もありますが、
元服前から駿府にいたという説もあります。

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徳川家康への育係

駿府で祖源応尼げんおうにが家康の教育を見たり、
今川義元の師・太原雪斎たいげんせっさいが家庭教師となったと云われています。

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