徳川家康

徳川家康(松平元康)と桶狭間の戦い-岡崎城への13年ぶりの帰還と松平氏の独立-

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七か条の法度

1559年5月16日、
桶狭間の戦いの1年前、
元康は七か条の法度を出します。

七か条の法度には関口義広や朝比奈親徳などが書かれており、
松平氏は今川家臣として臣従していたことを示しています。

桶狭間の戦い

1560年5月19日、今川義元・織田信長軍に討ち取られます。

桶狭間の戦い-今川家の真の狙いは?信長は何故勝った?-

桶狭間の戦いと徳川家康(松平元康)

1560年5月19日

徳川家康(松平元康/17歳)は、
大高城(名古屋市)で今川義元討死の
第一報を伝令(メッセンジャー)から受け取りました。

織田氏に味方していた叔父の水野信元は、
さっさと岡崎に帰るように元康へと勧めました。

しかし、家康は岡崎に帰りませんでした。

事態を入念に確認し、
今川義元が死んだことを確証した
松平元康は夜半に大高城を出立しました。

1560年5月20日

松平氏の菩提寺である大樹寺(岡崎市)に入寺。
今川軍が岡崎城から撤退するまで待機します。

1560年5月23日

今川軍の岡崎城から帰還するのを待って、
岡崎城へ松平元康は入城します。

今川義元の死の結果

松平元康(徳川家康)は自立・独立します。
松平氏は戦国大名になります。

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