密教は
を参考にしてください。
建築
室生寺
延暦寺も金剛峰寺も女性の参詣が認められていなかった。そんな中、女性の参詣を認めた寺として、「女人高野」(にょにんこうや)という異名をとった室生寺(むろうじ)が有名。
金堂
金堂は檜皮葺(ひわだぶき)でできている。
教王護国寺(東寺)
空海が嵯峨天皇より賜った寺。別名・東寺(とうじ)
彫刻
特徴
一本造
一本造はその名の通り、一本の木から仏像を作る仏像作成法。
翻波式
波を翻すような文様が当時流行した。
作品
- 観心寺如意輪観音像(かんしんじにょいりんかんのんぞう)
- 神護寺薬師如来像(じんごじやくしにょらいぞう)
- 元興寺薬師如来像(がんごうじー)
- 新薬師寺薬師如来像
薬師如来は薬壺を持っていることが多いので、病人を救う神と推測する。
- 室生寺弥勒堂釈迦如来像
- 室生寺金堂釈迦如来像
- 法華寺十一面観音像
- 東寺不動明王(-ふどうみょうおう)
絵画
曼荼羅
曼荼羅(まんだら)は、密教の世界観を独特な構図で説いたもの。仏の世界図、宇宙図が描かれた。
両界曼荼羅
両界曼荼羅(りょうかいー)で有名なのは神護寺と教王護国寺(東寺)。
両界
両界は「金剛界」(こんごうかい)と「胎蔵界」(たいぞうかい)をさす。
園城寺黄不動
園城寺黄不動(おんじょうじきふどう)は、円珍が画家に描かせた不動明王像。園城寺不動明王像ともよばれる。高野山明王院不動明王像は赤不動(あかふどう)とも呼ばれる。
書道
三筆
唐風書家の名手。以下の3人をさす。空海・橘逸勢(たちばなのはやなり)・嵯峨天皇。
風信帖
風信帖(ふうしんじょう)は空海から最澄に当てられた書簡。
久隔帖
久隔帖(きゅうかくじょう)は最澄が、弟子の泰範(たいはん)に当てた手紙。空海のもとを訪ねて行ったまま帰ってこなくなったので送った。
「久しく隔たっている」
「久隔帖」
教育
紀伝道
綜芸種智院
綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)は空海が藤原三守(ふじわらのみつもり)の経済援助のもと建設した学校。庶民の教育を目的とし、儒教や仏教を庶民に教えた。
大学別曹
大学別曹(だいがくべっそう)は貴族が設けた学寮かつ研究室。
大学別曹と貴族の組み合わせ
- 和気家(わけー)の弘文院(こうぶんー)
- 藤原家の勧学院(かんがくー)
- 在原家(ありわらー)の奨学院(しょうがくー)
- 橘家の学館院(がくかんー)
漢詩
勅撰漢詩文集
勅撰漢詩文集が以下の3つ。勅撰(ちょくせん)とは天皇の命令でこの場合は漢詩を選ばせること。なお、懐風藻は勅撰ではない。
凌雲集
凌雲集(りょううんしゅう)を編纂したのは小野岑守(おののみねもり)と藤原清公(ふじわらのきよきみ)。嵯峨天皇の命令で編纂。最初の勅撰漢詩文集。
文華秀麗集
文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)は嵯峨天皇の命令で藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)と藤原清公によって編纂された。2番目の勅撰漢詩文集。
経国集
良岑安世(よしみねのやすよ)と滋野貞主(しげののさだぬし)によって編纂された。3番目の勅撰漢詩文集。淳和天皇(じゅんなてんのう)の命令で撰上。
文章経国
弘仁・貞観文化では文芸の勃興んいよって国を治め、さらには発展を願う文章経国の考えが広まった。
菅原道真の漢詩文集
- 菅家文草(かんけぶんそう)
- 菅家後集(かんけこうしゅう)
その他の漢詩
性霊集
性霊集(しょうりょうしゅう)は空海の個人詩文集。弟子の真済(しんぜい)が編纂。
史書
六国史
奈良時代から平安時代にかけて六国史(りっこくし)という官製の歴史書を編纂。
日本書紀
続日本紀
797年、菅原真道・藤原継縄(ふじわらのつぐただ)ら編纂。
日本後紀
840年、藤原緒嗣が編纂。
続日本後紀
869年、藤原良房が編纂。
日本文徳天皇実録
879年、藤原基経によって編纂。
日本三代実録
901年、藤原時平・菅原道真によって編纂。清和天皇・陽成天皇・光孝天皇の3代。
その他
文鏡秘府論
文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)は空海の著書。詩文の作法を説いた。
日本霊異記
薬師寺の僧侶、景戒(きょうかい)は現存する日本最古の説話集・日本霊異記(にほんりょういき)をかいた。仏教に関するもの。
新撰姓氏録
新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)は畿内の諸氏の系譜を集成したもの。万多親王(まんだしんのう)らを中心に編集された。
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