徳川家康

徳川家康(竹千代)の誕生-竹千代の母・水野於大と松平氏と水野氏について-

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徳川家康
尾張上四郡を支配する伊勢守織田家と尾張下四郡を支配する大和守織田家と知多郡と周辺国の地図
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来年、大河ドラマで「どうする家康」が放送されますね。

現在、鎌倉時代の鎌倉殿の13人が絶賛放送中ですが、
予算の都合上、鎌倉時代は資料が足りていません。

そこで、もう今年は諦めて、
来年の分をまとめます。

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水野氏とは?

三河国刈谷城を本拠とする豪族です。
知多半島にも勢力を伸ばしていて、
知多久松氏なども配下に加えていたこともあります。

水野氏は尾張国知多郡が居城です。

尾張上四郡を支配する伊勢守織田家と尾張下四郡を支配する大和守織田家と知多郡と周辺国の地図

これは以前用いた画像ですが、
知多郡の場所がわかりやすいので、
もう一度使用しますね。

水野氏は、尾張国の織田氏と三河国の松平氏の間を縫って広がってきたベンチャー豪族でした。
そのため、権威も弱く、なかなか生き残るのも大変でした。

当時の当主、水野忠政は織田方についていました。
1540年の安祥城攻めの際には、織田方の先鋒を務めました。

先鋒というのは、戦争の時代では基本的に死んでもいい兵を使います。
昨今のウクライナ侵略でも、死亡者の中ではアジア人の割合が人口比より多いとか。
あと、元寇のときも、朝鮮人や南宋人など口減らし要員が動員されましたね。

第1回日本遠征(文永の役)
...

このようにして、死んでもいい兵は戦闘に出されます。水野氏もその一角でした。

松平氏と水野氏の和睦

水野氏は1541年、織田氏を見限り、今川氏や松平氏と和睦します。

おそらく、前年の戦いで織田氏にむかつくことがあったんでしょうね。

松平広忠と水野於大の婚姻

水野忠政の娘の於大が松平広忠と婚姻を結びます。

松平竹千代(家康)の誕生

1542年12月26日
松平広忠が17歳の時、於大が15歳の時、
この夫婦の間に松平竹千代(家康)が誕生。

松平氏と竹千代
竹千代は松平氏の幼名として代々使われている名前。
いろんな竹千代が存在してるので、竹千代(家康)と表現します。

松平氏と水野氏の関係悪化

1543年7月、水野忠政が亡くなります。

水野氏の嫡男・水野信元が当主につきます。

信と元
信は織田氏の通し字。
元は今川氏の通し字として知られています。

水野信元という名前は、
織田氏にも今川氏にも気を遣った名前といえます。

水野信元は織田氏に再度、接近します。
松平氏と水野氏は再び関係が険悪ムードになります。
家康は西洋式年齢で1歳を迎える前に、
はやくも両親の家の関係が悪くなっていきます。

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