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古代インド・東南アジア

古代カンボジア-港市・扶南・真臘・アンコール朝・チャンパー-

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港市の成立

起源前後からインドの東南アジアなどへの進出が活発になった。理由はカースト制の排除を目指す仏教布教などがある。インド人の海洋進出者は地中海世界の人間が買ってくれる黄金、香料、樹脂などを求めて、東南アジアへやって来た。こうして東南アジアでは沿岸や河岸のあちこちに港市ができたのである。(タトゥン王国やチャンパー(後述)もその一つ)

 

扶南

メコン川下流域に扶南を建国。1世紀頃から史料で確認できる。
扶南の建国伝説としては、混填(こんてん)というバラモンが来航して現地の女王柳葉(りゅうよう)と結婚して国を作ったとしている。インド文化がカンボジアに入ってきた一連の過程を凝縮してものとみられる。
扶南はシャム湾に面しており、当時の海上交易大国であった。また、メコンデルタの肥沃な土地を背に面し地理的条件が良かった。そのおかげで、インドや中国との交易で栄えた。この国の外港オケオ(現・ベトナム・ロンセン省)からはローマ金貨、インド製の仏像やヴィシュヌ神像、漢の道鏡などが発見された。
宗教面では、土着の精霊信仰であったが、ヒンドゥー教や仏教と混ざっていたりした。

真臘

成立

6世紀半ばクメール人(オーストロアジア語族)の真臘(しんろう)王バヴァルヴァルマン1世により始められ、イーシャナヴァルマン王によって620年代までに扶南を滅ぼした。王都イーシャナプラは現在のカンボジアのコンポントム州にあるサンボール・プレイ・クック遺跡である。
宗教はビシュヌ神・シヴァ神の合祀神ハリハラ神を中心とする信仰。シヴァ神はリンガ(ペニス)の姿で礼賛され、国教化していたそうだ。

分裂

706年頃、地方の独立心が高まり、水真臘と陸真臘に分かれて争った。

アンコール朝

建国

ジャヤヴァルマン2世は、ジャワから帰還後、水真臘をジャワの手から独立させようと試みた。バラモンのシヴァカイヴァールヤを召し抱え、ジャヤヴァルマン2世が国内を再統一。802年プノン・クレーンを本拠に構え、転輪聖王(チャクラヴァルテン)として君臨。アンコール朝を開いてカンボジアの全盛期となった。

輝ける世紀

アンコール・ワット

スールヤヴァルマン2世(在位1113~1150年)は1145年にチャンパーの首都ヴィジャヤを陥落させ、西はビルマの国境から東はチャンパーまで手に入れ、最も広大な版図になった。彼によってアンコールワットと呼ばれるヒンドゥー教寺院が30年あまりの時間をかけて建立。王はヴィシュヌ神の化身として神格化された。王の征服活動と大寺院の造営でその後、アンコール朝は衰退することになる。1177年王の死後、チャンパーの水軍に占領された。後に上座部仏教の寺院となった。

アンコール・トム

9世紀第3代ヤショーヴァルマン1世によって王都アンコールトムを最初の都城として建設。
ジャヤヴァルマン2世は、アンコールワットを占領した報復として、再びチャンパーの首都を攻撃し、チャンパーを30年間併合。熱烈な仏教徒であった王はもっとも壮麗な門として12世紀に増設された。

チャンパー

ベトナム南部にチャム人(オーストロネシア語族)は2世紀末に
中国の支配を脱して独立し、チャンパー国を建国。
中国ではチャンパーを林邑(2~8世紀)、環王(8~9世紀)、占城(9~15世紀)と呼んだ。
インド文化を採用し、中継貿易で栄えた。
ベトナムによって17世紀に滅亡した。

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