スポンサーリンク鎌倉時代六波羅探題の設置(前身は京都守護)鎌倉時代TwitterFacebookはてブPocketLINEコピー2023.05.16 この記事は約1分で読めます。スポンサーリンク承久の乱が終わって、天皇は仲恭天皇から後堀河天皇に交代しました。目次六波羅探題の設置共有:関連スポンサーリンクカテゴリ別人気記事鎌倉幕府の3つの役所~侍所・公文所・問注所~2018.09.292020.06.07守護と地頭の設置~鎌倉時代の実質的始まり~2018.10.102020.06.07「惣領と庶子」~御家人も家に帰れば惣領に~2020.03.29鎌倉時代の将軍と御家人の関係~御恩と奉公の封建制度~2019.09.122020.03.29平氏の有力家人・阿波民部大夫重能2018.09.292020.06.08六波羅探題の設置京都守護が鎌倉勢によって置かれていましたが、京都守護では手狭だとなりました。なにせ京都の大都会を監視するには、守護では物足りなくなったのです。事実、京都守護では、承久の乱を防げませんでした。そのため、六波羅探題ろくはらたんだいを設置します。六波羅とは京都の地名です。六つの波羅蜜多ではないです。六波羅探題の南方には、北条義時の弟である北条時房が就任しました。一方で、六波羅探題の北方には、北条義時の息子の北条泰時が就任しました。共有:TwitterFacebook関連Related PostsNo related posts. No tags for this post.
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