第2回日本遠征(弘安の役)の目的
モンゴル帝国は南宋を滅亡させた後、
元朝にとって南宋の兵士の取り扱いが問題になりました。
元朝にとって南宋の兵士の取り扱いが問題になりました。
- 南宋の兵士に俸給を払う→財政圧迫
- 南宋の兵士を放置→兵士が不満→反乱
そこで、
南宋の兵士の中から志願者を募り、
海外遠征に振り向けることにしました。
南宋の兵士の中から志願者を募り、
海外遠征に振り向けることにしました。
近隣国には迷惑極まり無い話です。
江南軍の大多数の兵士は南宋の兵士で、
農具を所持しており、上陸に成功したら屯田兵として活動。
棄民集団でした。
故郷を追われたので、新しい入植地を探したのでした。
第2回日本遠征(弘安の役)の経緯
1281年6月高麗を出発した東路軍4万人と
寧波を出発した江南軍10万人を派遣します。
軍の中には船を動かすための船員さんや調理師なども含まれていたため、
実質戦闘要員は6~7万人と推測される。
対する日本側は周到に準備をしており、
石築(いしづき)地などを作り、
さらに実動部隊はモンゴル軍を上回る12万人。
元軍は上陸を許されず、
8月1日台風に襲われ、大損害を被り、帰国の途についた。
第2回日本遠征(弘安の役)の結果
元軍の目的は、南宋の兵士の口減らし。
日本を征服できたらラッキーぐらいに思っていた。
これにより、
南宋地域の余っていた旧南宋軍を
日本で殺すことができ、
元朝の支配の基盤が確立された。
なお、第3回日本遠征も計画されたが、
フビライの死により、計画はなくなった。
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