井上馨ははじめは、
外務卿でしたが、
のちの内閣制度が導入されてからは、
日本で初めての外務大臣となりました。
関税自主権の喪失と、
領事裁判権の撤廃に向けて、
挑んでいくことになります。
主義:極端な欧米化政策
井上馨は条約改正に向けて、
欧米列強と有利に交渉を進めるため、
極端な欧米化政策を取ります。
都会の中でもごくわずかな地域だけ、
欧米化をほどこし、
ポツンと欧米化状態になりました。
鹿鳴館と鹿鳴館時代
その最たるものが、
鹿鳴館でした。
鹿鳴館では連日連夜、
舞踏会が繰り広げられ、
極端に欧米化していきました。
![](https://xn--mprwb863iczq.com/wp-content/uploads/鹿鳴館の舞踏会.jpg)
人はこの時体を、
鹿鳴館時代と呼びました。
鹿鳴館の設計者
鹿鳴館の設計者は、
コンドルです。
![](https://xn--mprwb863iczq.com/wp-content/uploads/鹿鳴館-1024x819.jpg)
イギリス人の建築家ですね。
コンドルは、ニコライ堂なども
建築しました。
![](https://xn--mprwb863iczq.com/wp-content/uploads/ニコライ堂-1024x851.jpg)
井上外交への批判
農商務大臣だった谷干城と
フランス人法学者・ボアソナードらは、
「鹿鳴館で踊るのが外交か」
と強く抗議しました。
ノルマントン号事件
ノルマントン号事件は、
領事裁判権を撤廃したほうがいいという
国民もはっきり理解する事件でした。
ノルマントン号事件の概要
![](https://xn--mprwb863iczq.com/wp-content/uploads/ノルマントン号事件.jpg)
イギリスの貨物船・ノルマントン号は、
紀伊半島沖で座礁します。
- イギリス人は全員救助
- 日本人は全員溺れ死んだ
という苦々しい事件です。
海事審判でイギリス人船長優位な判決がなされ、
ノルマントン号の船長は当初は無罪となりました。
井上馨外交とノルマントン号事件の結果
ノルマントン号事件の結果、
日本の民衆は、
- イギリス人だけ助かるなんておかしい!!
- 不平等だ!!
- 領事裁判権を認めているからだ!
領事裁判権を撤廃しろ!!
との国民世論が活発化して、
井上馨外交は失敗に終わったと言えるでしょう。
ただ、日本臣民が、
ノルマントン号事件を契機に、
領事裁判権の撤廃の必要性を感じたのは、
大事なことでした。
コメント