明治時代中期明治時代初期

井上馨の明治外交(1882-1887)-鹿鳴館時代とノルマントン号事件-

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明治時代中期
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井上馨ははじめは、
外務卿でしたが、
のちの内閣制度が導入されてからは、
日本で初めての外務大臣となりました。

関税自主権の喪失と、
領事裁判権の撤廃に向けて、
挑んでいくことになります。

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主義:極端な欧米化政策

井上馨は条約改正に向けて、
欧米列強と有利に交渉を進めるため、
極端な欧米化政策を取ります。

都会の中でもごくわずかな地域だけ、
欧米化をほどこし、
ポツンと欧米化状態になりました。

鹿鳴館と鹿鳴館時代

その最たるものが、
鹿鳴館でした。

鹿鳴館では連日連夜、
舞踏会が繰り広げられ、
極端に欧米化していきました。

人はこの時体を、
鹿鳴館時代と呼びました。

鹿鳴館の設計者

鹿鳴館の設計者は、
コンドルです。

鹿鳴館

イギリス人の建築家ですね。

コンドルは、ニコライ堂なども
建築しました。

日本正教会のニコライ堂。おそらく世界遺産に申請したらキリスト教関連なので通るクラス

井上外交への批判

農商務大臣だったたに干城たてき/かんじょう
フランス人法学者・ボアソナードらは、
「鹿鳴館で踊るのが外交か」
と強く抗議しました。

ノルマントン号事件

ノルマントン号事件は、
領事裁判権を撤廃したほうがいいという
国民もはっきり理解する事件でした。

ノルマントン号事件の概要

ノルマントン号事件

イギリスの貨物船・ノルマントン号は、
紀伊半島沖で座礁します。

  • イギリス人は全員救助
  • 日本人は全員溺れ死んだ

という苦々しい事件です。

海事審判でイギリス人船長優位な判決がなされ、
ノルマントン号の船長は当初は無罪となりました。

井上馨外交とノルマントン号事件の結果

ノルマントン号事件の結果、

日本の民衆は、

  • イギリス人だけ助かるなんておかしい!!
  • 不平等だ!!
  • 領事裁判権を認めているからだ!
    領事裁判権を撤廃しろ!!

との国民世論が活発化して、
井上馨外交は失敗に終わったと言えるでしょう。

ただ、日本臣民が、
ノルマントン号事件を契機に、
領事裁判権の撤廃の必要性を感じたのは、
大事なことでした。

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