後漢末、華北で
184年黄巾の乱を契機に,
反乱が各
地に起こり、
地方の
治安は著しく悪化した。このような中で、
後漢は豪族に官位を与えて,地方の
安定を図ろうとした。
その中の成功者は空華北の
魏の基礎を築いた
曹操と江
南の
呉の
建国者
孫権と
四川の
蜀を建てた
劉備(りゅうび)である。
魏
この中で最も統一に近かったのは
魏の
曹操である。
曹操は後漢の皇帝を本拠地・許に迎えて
実権を握り、華北の大部分を支配するようになった
。曹操の子・
曹丕そうひ(文帝)が魏王朝を始め、都を
洛陽とした。
やがて、263年蜀を滅ぼした。
208年,蜀の諸葛亮(諸葛孔明)の働きにより、蜀が呉と同盟し,
赤壁の戦いで火攻めによって
魏の大水軍
10万人を倒し
魏を
破り、天下三分の計の構図となった。
呉
呉を建国した
孫権は、
長江下流域の豪族だった。父や兄の跡を継いで、
この地域一帯に強固な基盤を作り
上げた、魏・蜀のあとに独立。
都は建業(けんぎょう)、国号は呉。
蜀
蜀を建国した
劉備(りゅうび)は、漢の
帝室の
子孫を自称し、
諸葛亮しょかつりょう(諸葛孔明しょかつこうめい)の補佐もあり、
蜀、湖北を領有し、221年成都を都として、皇帝の座についた。
国号は漢で、通称は蜀。
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