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フランス革命⑦国民公会とルイ16世の処刑と第1回対仏大同盟

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フランス革命とナポレオン
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前回、
http://rekishi-sogo/blog/2018/07/20/5961
でフランス国王ルイ16世は幽閉され、
王権は停止しました。
そのような混乱の中、
フランスは一体どこへ向かうのでしょうか。

国民公会の成立

 
1792年8月末から9月初めに実施した男性普通選挙により、
1792年9月に国民公会(Convention Nationale)が成立します。
国民公会は、王政廃止と共和政(第一共和制)の樹立を宣言します。
国民公会には、もう立憲君主制のフイヤン派はおらず、
共和派のみでジロンド派が政権を担当していました。
という訳で、
議場の最右翼にいたフイヤン派は消滅し、
ジロンド派が右翼に移り、
急進的な共和派のジャコバン派(山岳派)が左翼になり、
敵対しました。
ジャコバン=クラブは山岳派が
支配するようになりました。
穏健な中間グループは平原派と呼ばれ、
両派の間をさまよっていました。

ヴァルミーの勝利

フランス革命軍は、9月20日ヴァルミー(Valmy)で敵の侵入軍を撃退し、
ライン川左岸やネーデルラントを占領しました。
革命軍は最初の軍事的勝利を経て、
逆襲に転じることができました。

フランス国王ルイ16世らの処刑

国民公会で国王の裁判が始められました。
国王は公的自由に対する陰謀と、
国歌の安全の審判により、
数名の棄権をのぞき、
満場一致で有罪とされました。
山岳派の提案した国王の死刑は可決され、
ジロンド派が提案した死刑執行延期は否決されました。
1793年1月21日朝、革命広場(のちのコンコルド広場)で、
ギロチンによるルイ16世の処刑が行われました。

 

第一回対仏大同盟

革命軍の攻勢と国王の処刑は、
イギリスを始めとするヨーロッパ諸国の革命への敵意と警戒心を強めました。
イギリスのピット首相の呼びかけで、
1793年に第1回対仏大同盟を結成します。
イギリス・オーストリア・プロイセン・スペイン・オランダなどが参加しました。
 

ヴァンデー県の農民の反乱

フランス国内では、ヴァンデー県で王党派が指導する農民反乱が起こります。
食糧不足とインフレで民衆の不満が高まっていたからです。

フランス革命リスト

 

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