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イスラーム帝国の形成と発展と分裂

スンナ派・アイユーブ朝の建国とクルド人のサラディンvs十字軍

イスラーム帝国の形成と発展と分裂
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アイユーブ朝の建国

建国

シリアのザンギー朝(Zangi/1127~1222)からエジプトに派遣されたクルド人の武将サラディン(Saladin/サラーフ・アッディーン/Salah al-Din/在位1169~93)は、ファーティマ朝の宰相となる。宰相となったサラディンはファーティマ朝の実権を握ることとなる。そして字軍侵攻の隙を突いてアイユーブ朝(1169~1250)を開いた。首はカイロにおいた。
サラディン
サラディンはアッバース朝のカリフの在位とその宗主権を認め、スンナ派信仰を復活させた。イスラーム世界の統一を図った。サラディンはなおイスラーム世界の英雄として尊敬されている。

内政

イクター

由来

国家から分け与えられた土地である分与地、あるいは徴税権をイクターは意味する。イクター制はブワイフ朝時代のイラクにはじまり、セルジューク朝のときに西アジアにまった。

どういうものか?

王朝に仕える軍人に農村や都市での徴税権を与えられる代わりに、軍役義務を果たさせる制度。
イクター制

東方貿易

紅海貿易を独占していたエジプト商人、通商・カーリミー商人がインドの辛料や中国産の絹をもたらした。これを求めてきていたヴェネツィアなどのイタリア商人をサラディンは保護して、東方貿易が本格化した。

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対十字軍戦争

イェルサレムの重要性

イェルサレム(Jerusalem/アラビア語ではクドス/al-Quds/聖地の意味)は、

  • ユダヤ教徒にとっては、ソロモンによる神殿建設のとして重要。
  • キリスト教徒にとっては、イエスの死と復活の舞台として重要。
  • イスラーム教徒にとっては、メッカ・メディナにぐ第三の聖地として重要。
第三の聖地・イェルサレム
預言者ムハンマドが天馬に乗って、メッカからイェルサレムに夜のをして、イェルサレムの「岩のドーム」中央にある灰色の聖石から天へと昇り、神と相まみえることができたという伝説に由来する。

イェルサレムの奪回

1187年、サラディンはティベリアス湖西方であったヒッティーンの戦いで十字軍を破る。約90年ぶりにイスラーム世界がイェルサレムを奪回した。

第三回十字軍の撃退

イギリスの

リチャード1世(Richard I/獅心王/ししんおう/在位1189~1199)
は聖地の再征服をめざして、第三回十字軍をおこした。しかし、サラディンにより撃退して、和解にいたらされ、追い返される。

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