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表史

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魏晋南北朝

中国南北朝時代の南朝(六朝)について

東晋東晋成立後、華北から戦乱を避けるために、漢人の貴族や豪族、農民が移住した。発展が遅れていた長江の中下流域は、急速に発展した。宋の建国と南朝の成立東晋はおよそ100年続いたが、末期は政治が乱れ、華北への反攻で戦果をあげた武人出身の劉裕(り...
魏晋南北朝

北朝の北魏~北魏から隋にいたるまで

北魏道武帝(在位388年~409年)前秦が淝水ひすいの戦い(383年)で敗北したことをきっかけに、配下の諸部族が次々と独立しました。このときに鮮卑族の拓跋部たくばつぶ・拓跋珪たくばつ けいは、代王に即位して、ついで魏王となりました。三国時代...
魏晋南北朝

五胡十六国時代

五胡とは?南匈奴の子孫の匈奴、匈奴の別種と言われる羯(けつ)、モンゴル系あるいはトルコ系の鮮卑、チベット系の氐(てい)や羌(ぎょう) の諸民族の総称。304年の漢(前趙)~439年の北魏の華北統一までの間に漢民族が興した国も含めて、20以上...
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魏晋南北朝

西晋の成立から八王の乱による短命での滅亡と東晋としての復興

魏の帝室は一族間の争いで勢力を失う。かわりに勢力をつけたのは、司馬氏だった。曹氏vs司馬氏曹芳vs司馬懿第3代曹芳(そうほう)の時代になると、司馬懿(しばい)が権力を強め、曹氏一族を追い詰め始める。曹髦vs司馬昭第4代曹髦(そうぼう)は司馬...
魏晋南北朝

三国時代

後漢末、華北で184年黄巾の乱を契機に,反乱が各地に起こり、地方の治安は著しく悪化した。このような中で、後漢は豪族に官位を与えて,地方の安定を図ろうとした。その中の成功者は空華北の魏の基礎を築いた曹操と江南の呉の建国者孫権と四川の蜀を建てた...
古代中国文明

漢代の文化:儒教の発展と記録の時代

漢代は、のちの中国文化の背骨となる儒教が国教化され、歴史叙述や科学技術が飛躍的に進歩した時代です。1. 儒教の官学化と「訓詁学」武帝が儒教を国教化したことで、経典の研究が公的な学問となりました。 訓詁学(くんこがく)秦の「焚書坑儒」で失われ...
古代中国文明

後漢(赤眉の乱から黄巾の乱)光武帝と和帝。成立から滅亡まで

光武帝の時代後漢の建国漢一族で武帝の弟のしそんである劉秀(りゅうしゅう)が赤眉の乱(せきびのらん)を平定し、25年後漢(こうかん)を成立させた。漢帝国の復活である。光武帝(こうぶてい)は200年の安定の基礎を築いた。戦乱で荒廃した長安ではな...
古代中国文明

【古代中国史】前漢の滅亡と王莽による「新」の建国~宦官・外戚政治の腐敗と理想主義が招いた大崩壊~

【古代中国史】前漢の滅亡と王莽による「新」の建国~理想主義が招いた大混乱と滅亡の歴史~約200年続いた巨大帝国「前漢」は、農民の反乱や諸侯の争いではなく、ひとりの外戚(皇帝の母方の親族)による**「平和的な乗っ取り(禅譲)」**によって滅亡...
古代中国文明

前漢の全盛期:武帝の統治(前141年〜前87年)

武帝は、劉邦が建国した漢(前漢)の第7代皇帝です。彼はそれまでの「無為にして治める(何もしない)」方針を捨て、強力な中央集権化と積極的な外征へと舵を切りました。1. 中央集権の確立(内政)武帝は、皇帝の権力を絶対的なものにするために、諸侯の...
モンゴル民族の発展

蒼き狼の大モンゴル帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)の建国

最初は弱小のモンゴルのテムジンは、父は殺され、妻は孕ませられ、散々でしたが一族を率いるときがやってきて、ユーラシアの覇王となる日がやってきます。それでは見ていきましょう。
古代中国文明

前漢初期の政治~劉邦から呉楚七国の乱~

都・長安皇帝となった高祖・劉邦(りゅうほう)は都を長安に定めた。 渭水盆地の農業力 交配の四川盆地の豊かさ 水運の便 防衛に有利などが長安を都に定めた理由です。新都では、未央宮(びおうきゅう/前漢の宮殿)や前殿、闕などの建設が進められます。...
古代中国文明

項羽と劉邦と「漢王朝の成立」

項羽と劉邦秦末動乱の中で、最後まで残ったのは沛県(江蘇省)の農民出身の劉邦と楚の貴族出身の項羽である。劉邦は度量が広く、人材活用が上手なのに対し、項羽は自身の武勇は優れていたが、狭量で激情家で秦郡20万人を生き埋めにするなど残忍なところもあ...
古代中国文明

秦の中国統一と政治と秦の滅亡

秦王の政のとき、法家の李斯を起用し、前221年中国を統一。「王」にかえて「皇帝」(煌々たる上帝、光り輝く絶対神)の称号を創始。すなわち秦の始皇帝である。都は引き続き咸陽(かんよう)内政 中央官制では丞相(じょうしょう)(行政)太尉(たいい)...
古代中国文明

古代中国思想史③と文学

名家・・・名(言葉)と実(実体)との間に不一致はあってはいけないとする説公孫竜の白馬は馬にあらず(白馬非馬論)馬と白馬は同じものではないから白馬は馬ではないする詭弁。兵家・・・兵法を論じ、兵法書を書いた。代表孫武・孫臏(そんぴん)・呉起縦横...
古代中国文明

古代中国思想史②道家・法家

道家(どうか)…老荘思想と呼ばれる、すべての根源である「道」の合一化を求める思想。①老子道家の祖。孔子の説く、仁や礼は人為的なものだとし、自然との調和をとく無為自然が道家の特徴である。楚の人。姓は李。名は耳(じ)と言われるが伝説的な要素がか...
古代中国文明

古代中国思想史①儒家・墨家

諸子百家とは戦国時代(中国)に輩出した多数の思想家や諸学派の総称である。中国思想の諸源泉となった。儒家…開祖孔子①孔子家族中心の愛であり、究極の目標である仁と社会全般の規範である礼を説いた。また理想の政治は徳(人格の高さ)によって国を治める...
古代中国文明

古代中国の戦国時代

前403年晋は家臣によって、韓・魏・趙に分裂。前漢の劉向(りゅうきょう)が編纂した戦国策に戦国時代の名は由来する。晋の分裂を春秋時代と戦国時代にわけたのは北宋の司馬光(しば こう)の資治通鑑(しじつうがん)による。戦国時代には周王の権威は地...
古代中国文明

春秋時代

周の東遷前770年、西周第12代幽王のときに北方のチベット系異民族犬戎(けんじゅう)によって都の鎬京(こうけい)が攻め落とされ、洛邑(らくゆう)(洛陽)に遷都した。これを周の東遷と呼び、以降の周を東周(前770~前256)という。春秋時代の...
古代中国文明

周王朝-成立-封建制度と諸侯とは?

周の成立周は陝西省の渭水盆地を拠点とする殷に服属する邑むらの1つであった。前11世紀,殷に酒池肉林で悪名高き紂王ちゅうおうがあらわれ、国政が混乱したため、周の文王が華北平原の豊に進出しました。そして、文王の子、武王が牧野の戦いぼくやのたたか...
古代中国文明

邑(ゆう)中国の集落や都市。黒陶文化の後期から出来た。都市国家の1種。氏族共同体的なまとまりだったが、城壁が作られ、城郭都市へと発展。やがて強力な優雅弱小の邑を従えて、支配服属の下、王朝が成立。伝説の時代と殷三皇五帝(燧人すいじん・伏義ふっ...
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