昭和初期の日本は、景気の悪化や政治への不満が高まり、
とても不安な雰囲気が社会全体を包んでいました。
そのような時期に、1931年(昭和6年・辛未)10月、
陸軍の一部の将校たちが、武力によって政府を倒し、軍事政権を作る計画を立てました。
これが「十月事件」と呼ばれる、未遂に終わったクーデター事件です。
この事件は最終的に実行されませんでしたが、のちの日本の歴史に大きな影響を与えたと考えられています。
とくに、陸軍内部の対立を決定的にした点で重要な出来事とみなされています。
この記事では、高校生にも分かりやすい形で、十月事件の背景や内容、
事件がその後の日本に与えた影響までをまとめて紹介します。
なぜクーデターは計画されたのか?【事件の背景】
十月事件が計画された1931年(昭和6年・辛未)は、日本にとっても世界にとっても混乱の時代でした。
世界恐慌によって、国内の景気は急速に悪くなり、多くの人々が生活に苦しみます。
それにもかかわらず、政治の世界では政党同士の争いが続き、人々の間で「政治家は頼りにならない」という気持ちが強まっていきました。
こうした中、軍、特に陸軍の一部では
「弱い政党政治では日本を守れない。天皇を中心とした強い国家が必要だ」という考え方が広まり始めます。

さらに、この年の3月には、橋本欣五郎中佐たちが中心となり、桜会という陸軍内の秘密結社がクーデター計画を立てていました。
これは三月事件とは?陸軍の秘密結社「桜会」によるクーデター計画をわかりやすく解説で解説される「三月事件」です。しかし三月事件の計画は、直前で中止され実行されませんでした。
ですが、桜会のメンバーたちはあきらめませんでした。
同じ年の9月には満州事変が起き、軍部への世の中の注目度が一気に増していきます。
この流れの中で、再びクーデター計画が持ち上がることになったのです。
どんな計画だった?過激なクーデターの内容
桜会のメンバーを中心とする計画は、かなり過激なものでした。
- 首相官邸や警視庁、主要な大臣の家などを襲撃すること
- 当時の首相若槻礼次郎(わかつき れいじろう)ら政府の要人を殺害すること
- 混乱に乗じて、陸軍大将荒木貞夫(あらき さだお)を首班(トップ)とする軍事政権をつくること
これが十月事件の基本的な計画でした。
ですが、あまりにも危険な内容であったため、参加を予定していた一部メンバーからも躊躇する声が出たとされます。
そして、計画の数日前に、陸軍の上層部にも情報が伝わってしまいました。
陸軍の幹部たちは直ちに計画をやめさせ、橋本欣五郎など主要な関係者を拘束します。
このようにして、十月事件は、実際に実行に移される前に未遂で終わりました。
不思議なことに、反乱を企てた中心人物への処分は意外と軽いものでした。
こうした「甘い処分」が、かえって過激な行動を許す空気を作り出した、という意見もあります。
事件が残した最大の影響 – 陸軍の分裂
十月事件によって、陸軍の中には埋めがたい亀裂が生まれました。
この事件以後、陸軍は大きく「皇道派(こうどうは)」と「統制派(とうせいは)」という2つのグループに分かれていくことになります。
「皇道派」vs「統制派」それぞれの考え方とは?
両方とも「軍がリーダーとなり日本を強くする」という目的は同じでしたが、
やり方が大きく異なっていました。
– 皇道派: 天皇への忠誠と精神力による昭和維新(しょわいしん)を目指し、
暴力的な行動やクーデターも辞さないという過激な考え方を持つグループでした。
代表的な人物は、クーデター計画の首班候補にされた荒木貞夫や、真崎甚三郎(まざき じんざぶろう)です。
– 統制派: 違法な手段ではなく、法律や制度を使い、
順序を踏んで軍が国を指導する「国家総動員体制」を目指していました。
計画的・近代的な軍の整備を重んじたグループです。
有名なメンバーには東条英機(とうじょう ひでき)や永田鉄山(ながた てつざん)がいます。
以後、皇道派と統制派の対立は、人事争いや政策でも次第に激しくなっていきます。
こうした派閥争いが、1936年(昭和11年・丙子)に起きる「二・二六事件」など、その後の動乱につながっていきます。
若槻内閣の総辞職と十月事件の関係
ちょうど十月事件と同じ時期、第2次若槻礼次郎内閣も大きな問題に直面していました。
満州事変への対応を巡って政府内の意見は分かれ、
さらに内務大臣・安達謙蔵(あだち けんぞう)が政友会や軍部と協力する「協力内閣」を提案。その一方で、外務大臣・幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)や大蔵大臣・井上準之助(いのうえ じゅんのすけ)は反対し、政府内は混乱します。
こうして、閣僚(大臣たち)同士の意見対立が解決せず、「閣内不一致」のまま、1931年(昭和6年・辛未)12月には若槻内閣が総辞職する事態となりました。
つまり、政党政治が軍部をコントロールできず、
内部でもまとまれないという状態が、この時代の特徴だと考えられます。
まとめ:十月事件が歴史に与えた2つの影響
十月事件は、クーデターそのものは未遂でしたが、日本史に大きな影響をもたらしたできごとです。
- 軍部による政治への圧力や介入が、ますます強まるきっかけとなった
- 陸軍が「皇道派」と「統制派」の2大グループに分かれ、深い対立が生じた
この事件ののち、日本はますます軍が中心となる時代へ向かっていくことになります。
昭和史を理解する上で、見逃せない転換点の一つだといえるでしょう。
(もし三月事件や満州事変についてもっと詳しく知りたい場合は、
三月事件とは?陸軍の秘密結社「桜会」によるクーデター計画をわかりやすく解説も参考にしてください。)
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