明治時代以降、お金持ちの農家と貧乏な農家を分けたのはなんでしょうか?
また、貧乏な武士とお金持ちの武士を分けたのは何でしょうか?
それは、
政府が行った
- 地租改正
- 秩禄処分
によって決まっていきました。
地租改正
農民に対しては地租改正が行われました。
地租改正は
「旧来ノ歳入ヲ減ゼザル」方針で行われました。
結果としては農民の負担はあまり変わりませんでした。
小作料は依然として米として納める現物納税でした。
中には重税に耐えられなくて農地を手放す農民も出てきました。
そういう農家は農地を手放して、
町に出て賃金労働者として生きていくことになります。
手放された農地は、
地主のもとに集まってきます。
そうすると、
地租改正は一方では賃金労働者の誕生。
つまり労働力人口の確保。
もう一方では、
地主のような資本家を生み出しました。
秩禄処分
政府が支払ってきた
華族と士族に対した
禄米をやめてしまおうという政策です。
禄米の支払額が政府の収入の1/3を占めているので、
政府も悩みのタネでした。
家禄奉還の法
政府は1873年、
家禄奉還の法を制定します。
希望者には秩禄公債という現金と交換できるただの紙と、
一時的な現金を支給しました。
1876年、金禄公債証書を発行。
家禄と賞典禄を全廃しました。
これを秩禄処分といいました。
まとめ
もらった方は、公債を現金化して事業を起こしていきます。
「士族の商法」という慣れないことで失敗するものがたくさん出てくる。
三菱のように銀行家として成功するようなものもいた。
換金した金で土地を買って地主になるものもいました。
まとめ
こうして失敗者は労働者に、
成功者は資本家になっていきました。
これを資本の本源的蓄積や原始的蓄積といいます。
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