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宗教改革前夜のドイツ-教会の腐敗と堕落と「ローマの牝牛」-

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マルティン・ルターやカルヴァンや、
英国国会などの宗教改革の前段階として、
宗教改革が起こったドイツの背景を見ていきましょう。

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背景

  • 神聖ローマ帝国の皇帝は、いつの間にかハプスブルク家が世襲することになりました。
    世襲が続いて、ドイツの有力諸侯や大きな自治市、農民や職が反発しました。
  • ドイツの人文主義者(文化人みたいな人たち)が。ローマの教皇たちの腐敗に反発。
  • 「宗教家が儲けるなんてどういうことだ」
    と、貴族・ブルジョワ・農民をイラツカせた。

というのが大きな3つの理由です。

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具体的な背景

当時のドイツは、神聖ローマ帝国と呼ばれる
ドイツ王国を中心とするザクセン公国などの有力な大きな国と小さな国が300あまりある領邦国家です。

ドイツはどちらかといえば、日本の江戸時代インドの藩王時代のような国で、
イギリスやフランス、スペインのように国王が直接、領地全域を統治するような国ではありませんでした。

ドイツは現在でも正式名称、
ドイツ連邦共和国で、地方分権的な国です。

このように、
ドイツは西ヨーロッパのように、
中央集権体制化は遅れていました。

しかし、
ハプスブルク家は自分たちだけで、
神聖ローマ帝国を直接統治しようとはせず、
帝国内の他の国を併合しようとはしませんでした。

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「ローマの牝牛」

ドイツはローマの教皇へと、
十分の一税のようにずっと金をされ続けられておりました。

そのため、
神聖ローマ帝国領内の商工業者や農業者では、
「ローマの牝牛」として、
中傷されていました。

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