開国による武士の暮らし
ハイパーインフレ
金の品質が粗悪な万延小判の流通により、
小判の価値が下がりました。
小判の価値が下がったということは、
相対的に物価が上昇していったということになり、
急激なインフレーションを日本全体を襲います。
当然、このようなインフレーションは、
下級武士や庶民の暮らしを圧迫しました。
外国人を襲う事件
ヒュースケン斬殺事件
1860年、ハリスの通訳をしている
オランダ人のヒュースケン(Heusken,1832~1861)が
三田で薩摩藩の浪士に切り殺された事件。
東禅寺事件
高輪東禅寺のイギリス仮公使館が
水戸藩を脱藩した浪士の襲撃を受け、
公使館員が負傷した事件。
生麦事件
1862年に、
神奈川宿に近い生麦村で、
江戸から帰る途中の
薩摩藩島津久光の行列の前を横切ったために、
イギリス人が斬られてしまった生麦事件
イギリス公使館焼き討ち事件
品川御殿山に建設中のイギリス公使館を、
高杉晋作、久坂玄瑞(くさか げんずい)、井上馨、伊藤博文らが
襲撃して焼いてしまったイギリス公使館焼き討ち事件。
ロンドン覚書
幕府はインフレやこうした攘夷運動を恐れ、
安政の五カ国条約に盛り込まれた
江戸・大坂の開市と、
兵庫・新潟の開港期日の延期
を求めて、遣欧使節団を派遣し、
イギリスとロンドン覚書を締結しました。
そして、
開市と開港の延期に成功しました。
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