周の成立
周は陝西省の渭水盆地を拠点とする殷に服属する邑の1つであった。
前11世紀,殷に酒池肉林で悪名高き紂王(ちゅうおう)があらわれ、
国政が混乱したため、周の文王が華北平原に進出し、
文王の子、武王が牧野の戦い(ぼくやのたたかい)で紂王を破り、殷を滅ぼした。
※このような王朝の交替を中国では易姓革命という。
西周
周(殷滅亡~東遷までを西周という)は都を渭水盆地の鎬京(こうけい)においた。
封建制度
血縁関係のある周王一族と功臣に封土(公邑)を与えて、
世襲させる諸侯とし、公・侯・伯・子・男の5つの称号(爵)に分けられ、
封土の見返りに貢納と軍役の義務を負わせた。
諸侯には卿(けい)・大夫(たいふ)・士とよばれる世襲の家臣がおり、
封土(采邑)が与えられ、貢納と軍役の義務を負わせた。
※ヨーロッパや日本の封建制度とは異なる。
宗族
姓を同じくする父系の集団。
宗法
宗族内の上下関係や秩序などを定めたもの。
宗族の団結を守るために作られた。
宗法に基づく道徳的規範が礼。
井田制(せいでんせい)
孟子によると周代の土地制度らしい。
井型に9区画わけ、真ん中を公田、残り8区画を私田にしたらしい。
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