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宋の中央集権化

五代十国時代

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朱全が建てた梁(こうりょう)は中華大陸を統一することなく、わずか16年で滅び、
そののち、後唐、後晋、後漢、後たった50年の間に華北で5王入れ替わった。
後唐、後晋、後漢突厥系節度使(沙陀部)が建てた朝で、
後唐(都は洛陽)以外はすべて都は開封(汴州)
後晋は建国時の見返りに、契丹に燕雲十を与えた。
後周のもまた、唐のと同じく仏教を弾圧
魏の太帝、北周の帝とともに
これらの仏教弾圧を総称して、
三武一宗の法難という。
などの方では10の王朝
(前蜀・後蜀・呉・南唐・呉越・閩(びん)・荊南(けいなん)・楚・南漢・北漢)が成立しては滅びた。
この分裂した中国史上最も血なまぐさく、暗い時代代十国時代という。
武断政治・・・武人による武力で行う専制的な政治
克上が続き、
武断政治により、
門閥貴族の没落がおこった。
代わって台頭したのが、
佃戸制に経済的基盤をもつ
新興地主(宋代には形勢戸と呼ばれた)。
官僚を出した家は官戸と呼ばれ、
新たな支配層である大夫の基礎となった。

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