後唐、後晋、後漢は突厥系節度使(沙陀部)が建てた王朝で、
後晋は建国時の見返りに、契丹に燕雲十六州を与えた。
後周の世宗もまた、唐の武帝と同じく仏教を弾圧。
これらの仏教弾圧を総称して、
三武一宗の法難という。
(前蜀・後蜀・呉・南唐・呉越・閩(びん)・荊南(けいなん)・楚・南漢・北漢)が成立しては滅びた。
下克上が続き、
武断政治により、
門閥貴族の没落がおこった。
代わって台頭したのが、
佃戸制に経済的基盤をもつ
新興地主層(宋代には形勢戸と呼ばれた)。
官僚を出した家は官戸と呼ばれ、
新たな支配層である士大夫の基礎となった。