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鎌倉時代

両統迭立-大覚寺統vs持明院統-皇室内の対立 南北朝の動乱の根源

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承久ののあと、
ゴッドバード上皇で有な後鳥羽上皇は隠岐へ島流しゾートになりました。
隠岐といえば島流しリゾートですね。

https://歴史総合.com/%e6%89%bf%e4%b9%85%e3%81%ae%e4%b9%b1/

他に有名な島流しリゾートは、

  • 隠岐
  • 佐渡
  • 安房
  • 常陸
  • 土佐
  • 伊豆

などが島流しリゾートとして有名ですね。

承久の乱のあとも、
朝廷では院政が敷かれていましたが、、、

という話です。

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北条泰時、後嵯峨天皇を推挙

北条泰時の後押しで、
後嵯峨天皇が即位しました。

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後嵯峨天皇が男と三男に位を譲り院政

後嵯峨天皇はある程度、
在位を続けたあと、
後嵯峨天皇の息子の次男の後深草天皇に位を譲ったあと、
さらに、後深草天皇から溺愛していた亀山天皇に位を譲ります。

この兄への愛情の差が、
後の北朝の動乱のきっかけになります。

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後嵯峨上皇の死去

後嵯峨上皇の死後
後嵯峨上皇の三男、亀山天皇は亀山天皇の子・後宇多天皇に譲位します。

これに深い不快感を示したのは、
次男の後深草上皇です。

後深草上皇は鎌倉に訴えかけて、
亀山上皇の息子・後宇多天皇の皇子に、
後深草上皇の息子の皇子を皇太子にすることに成功しました。

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後深草上皇(持明院統)vs亀山上皇(大覚寺統)

こうして、後嵯峨上皇に愛されなかった次男・後深草上皇の系譜であるという
持明院統という血統と、
後嵯峨上皇が溺愛した三男・亀山上皇の系譜であるという、
大覚寺統というが成立しました。

持明院と大覚寺というのは、
後深草上皇が住んでいたのが持明院で、
亀山上皇が住んでいたのが大覚寺だったからです。

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持明院統と大覚寺統の財源

持明院統は長講堂を財源にしていました。
後白河法皇の持仏堂です。

ここの荘園が財源です。

大覚寺統は条女院領を財源にしていました。
八条女院は鳥羽法皇の皇女
八条女院に寄進された荘園です。

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両統迭立

大覚寺統の後二条天皇の皇太子問題で、
大覚寺統と持明院統は争うことになります。

ちなみに後二条天皇は後醍醐天皇の兄です。

両者は結局、幕府にめてもらうことにしました。
幕府は交代交代に天皇になったらわ?と提案します。

これを両統迭立といいます。

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文保の和談

皇位継承問題にして話し合いの合議の上で、
大覚寺統にある程度、一本化することで話がまとまります。

しかも、鎌倉幕府は皇室問題にもうを出さないようになりました。

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後醍醐天皇の即位

1318年、後醍醐天皇が即位します。
後醍醐天皇の皇太子は後二条天皇の系譜が続くことで決まっていました。

後醍醐天皇は自分の息子があとを継げないことに不満を持っていたため、
鎌倉幕府の倒幕運動へ動いたと言われています。

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