低成長時代

三木武夫内閣-「クリーン三木」経済は低成長から安定成長へ!!-

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低成長時代
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さて、あまりこのブログは基本的には、
右翼にも左翼にもなびかず中翼的に書くことを心が聴けていますが、
やはり、同県出身の総理には多少、偏って書いてしまいます。

自民党の政治家ユニット「三角大福中」の「三」担当の、
三木武夫について書いていきますよ。

それでは見ていきましょう。

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田中角栄と金脈事件

三木武夫について書く前に、
三角大福中の「角」担当の、
田中角栄から復習しましょう。

でも田中角栄については書いてますので、
興味がある方はご覧ください。

田中角栄は、
評論家・立花隆が「文藝春秋」に載せた論文 「田中角栄研究ーその金と人脈」というものを出して、その号の文藝春秋はあっという間に売り切れるという事態が発生しました。

その論文で、田中角栄はあまりいい方法といえる方法で、
お金を集めてきたと言えず、ひんしゅくを買いました。

結局、賄賂や贈賄による、
金権政治が大問題になりました。

地獄の沙汰も金次第な状況でした。
「自民党はお金を出せばなんでもしてくれる。」
そのような中、当時は自民党は汚いというイメージが高まっていました。

自民党への汚い批判が高まっていた中、
登場したのが三木武夫みきたけおということになります。

三木武夫の政治

三木武夫内閣は、1974年、
田中角栄の金脈事件での総辞職を受けて、
成立しました。

三木内閣は、自民党への金に汚いイメージを払拭するために、
「クリーン三木」というキャッチコピーで売り出すことになります。

清廉潔白な政治を心がけた訳です。

三木内閣の頃から、日本経済は低成長から安定成長路線へと向かいはじめました。

ロッキード事件と流行語「記憶にございません」

三木内閣の時に、1976年、田中角栄内閣時のロッキード事件が発覚しました。

アメリカの上院の外交委員会多国籍企業小委員会の会合の中で、
1人のアメリカ人会計士の証言によって発覚した事件です。

ロッキード社という飛行機メーカーが、
飛行機を売り渡すために日本にも賄賂を渡したと、
証言した事件です。

日本は丸紅という大商社を通じて、
5億円の賄賂を田中角栄が受け取ったと証言されてしまいました。

ロッキード社の全日空で売り上げた見返りに、
5億円を田中角栄が受け取ったという事件です。

疑獄事件として当時は大ニュースになりました。
総理大臣経験者が逮捕されるというのは、
当時の日本人にはとてもショックなものでした。

三木武夫の動向

一方でライバルの三角大福中の、
院政を敷いていた田中角栄を徹底的に排除する好機だと見た、
クリーン三木こと三木武夫は、
ロッキード事件の事実関係の徹底解明に乗り出します。

毎日のように次から次へと、出るわ出るわの
新しい関係者が次々と芋づる式に出てきました。

灰色高官というものです。

新聞・テレビ・ラジオで、永遠にロッキード事件の話題が放送される。

そうすると、やましいことを抱えている人たちは
クリーン三木にいつ自分の名前が出てくるのかと、
ヒヤヒヤしていました。

まさに戦々恐々。
針にむしろの状態で、
生きていたことでしょう。

「三木おろし」

あまりに清廉潔白な解明策に対して、
今度は「三木おろし」が起こります。

心にやましいことがある人の方が
多数派だったのですね。

「記憶にございません」

国会中継で証人喚問された人、
たとえば、小佐野賢治らは
「小佐野さん、どうですか?」
と尋ねられても、
「記憶にございません」と
言うのを連呼したとして、
「記憶にございません」は当時の大流行語になりました。

「あなたの名前は何ですか?」
「記憶にございません」

みたいに、
大流行したんですよ。

河野洋平と「新自由クラブ」

そのような汚い自民党に嫌気がさして、
出ていった人もいました。

河野洋平こうのようへいです。

河野洋平は新自由クラブを結成します。

防衛費=GNPの1%以内を閣議決定

三木内閣のときの、1976年
防衛費は国内総生産の1%以内に閣議決定します。

三木武夫内閣のまとめ

結局、歴史は繰り返す訳です。

白河の 清きに魚も 住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき

で表されるように、
寛政の改革の松平定信のように、
あまりに清廉潔白な政治は、
汚い人間には住心地が悪いというものでした。

この前の田沼意次も、
賄賂政治を行っていましたね。

六十六州人国記にも、
三木武夫は阿波国(徳島県)出身ですが、

鎌倉時代の5代執権がまとめたと言われる
六十六州人国記に、阿波国の人柄として、

阿波国
おおむね心身健やかで、十人いれば七、八人は知性があって気配りもできる。

しかし、頭が良すぎて奇抜な振る舞いに及ぶこともある。それでも強盗などを働くような卑しさはなく、武士も高潔で胆力がある。

三好、麻植、名東、名西郡の者たちは一流だが、勝浦、那賀※、板野、阿波、美馬郡の者たちは少し頼りない。

※海部郡は当時は那賀郡

六十六州人国記

として、阿波は昔から汚いことが嫌いという風に、
執権の北条にも書かれていました。

そんな中で、その徳島流のキレイな政治を行うと、
全国民にはあまり受け入れられにくかったということでした。

三木武夫内閣は中道的政治を行っていましたが、
結局は福田赳夫内閣にバトンタッチし、
政治は右傾化していくことになります。

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