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モンゴル民族の発展

バトゥの「西征(ロシア・東欧遠征)」

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バトゥはまず始めに、
ヴォルガ湖畔からキプチャクトルコ系遊牧民に由来)大草原(カスピ海、黒海、カフカスの部一帯)征服
1237年ルーシ(ロシア)侵攻
キエフを始めとするロシア諸都市を攻略し、キエフ公国を壊滅。
1241年、ポーランド・ハンガリーに侵攻し、
ポーランド西部レグニッツアに近いワールシュタット(=の土地)
シュレジェン候ハインリヒ2世率いるドイツ・ポーランドの諸侯連合を大破。
敵軍の数を調べるために、死体の右耳をそぎ落としたところ、大きな袋9つ一杯になったと言われる。
その後ハンガリーの首都ペストも攻略して、ウィーン郊にまで到達したが、
1241年オゴデイが死去したために、
モンゴル軍は遠征を中止した。
もしオゴデイが死ななかったらヨーロッパは・・・

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