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第一次世界大戦

アメリカ合衆国の参戦とソヴィエト(ロシア)政府との休戦協定

第一次世界大戦
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1917年、第一次世界大戦に転機が訪れます。
中立・アメリカ合衆国の参戦と、
ロシアには月革命で、
ソヴィエト権が成立しました。

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アメリカ合衆国の連合国支援

ウィソンの再選

1917年1月、ウィルソンがアメリカ合衆国大統に再選されます。

「無併合・無賠償」の「勝利なき平和」を唱えて戦争終結にのめりになりました。

連合国への支援

しかし、実際には、旧宗主国であるイギリスなどに向けて、物資や兵器の供給、資金の融資などを通じて連合国との経済的な絆を深めていました。

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無制限潜水艦作戦

1917年2月、ドイツ独裁政府は、1917年2月に無制限潜水艦作戦を敢行しました。中立国であろうと敵国であろうと潜水艦で撃沈するというものです。

ルシタニア号事件

1915年5月7日、イギリスの客・ルシタニア号がドイツの潜水艦によって撃沈させられる事件が起こりました。1000人を越える犠牲者の中には、128名のアメリカ人が含まれていたため、アメリカ政府は激しく抗議し、全米の反独感情が高まりました。
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アメリカ合衆国、ドイツへ宣戦布告

アメリカ合衆国は民主主義の擁護を掲げて、1917年4月にドイツに対して宣戦布告を行いました。
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国際秩序の理念化

戦後に向けた動きとして、新しい動きがでてきました。それは戦後に向けた国際秩序の理念が提唱され、戦後世界の主導権争いが行われました。

ロシア革命と「平和に関する布告」

1917年11月、
ロシア革命により、
ソヴィエト政権政権が成立します。
「平和に関する布告」が出され、
全交戦国に無賠償・無併合・民族自決による講和を呼びかけました。

十四か条の平和原則

1918年1月、レーニンの行った「平和に関する布告」に対抗し、「十四か条の平和原則」の提案を行いました。

  1. 秘密条約の禁止
  2. 航行の自由
  3. 自由貿易の推進
  4. 軍備縮小
  5. 公正公平な決め方
  6. ロシアの領土の回復とその自由
  7. ベルギーの主権の維持
  8. フランス解放
  9. イタリア人のイタリアという国に住む権利
  10. オーストリア=ハンガリーの事実上の解体
  11. バルカン諸国の民族自決と独立
  12. トルコ人のためのトルコと非トルコ人の決定
  13. ポーランドを創設
  14. 国際連盟の設置

 

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ブレスト・リトフスク条約(独ソ休戦)

ロシアでは、ソヴィエト政権が同盟側が休戦協定を結び講和交渉をはじめました。
1918年3月、ドイツ軍の攻勢を受けた、ソヴィエト政府は、ドイツなどとの単独講和に踏み切りました。
ブレスト・リトフスク条約を締結し、ソヴィエト政府は戦線から離脱しました。

ブレスト・リトフスクとは?
ブレスト・リトフスクとはベラルーシの都市のこと。

ロシア側の全権はトロツキーでした。この条約でフィンランド・ウクライナが独立しました。

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