アケメネス朝ペルシアのオリエント世界の統一とその政策

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古代オリエント世界
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リディア王国、メディア王国、
新バビロニア王国、エジプト王国の
四王国分立時代の古代オリエントを統一したのは
4つの王国どれでもなく、
インド=ヨーロッパ語族
イラン系ペルシア人が建てた
アケメネス朝(英語:Achaemenid Empire)ペルシアです。

 

ペルシアの名前は
イラン高原南西部の地名による。
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アケメネス朝の始まり

キュロス2世の治世

ペルシアはメディア王国に支配されていたが、
アケメネス家(犬派)の
キュロス2世がメディア王国を倒して独立します。

前546年にリディア王国を、
前538年に新バビロニア王国を滅亡させます。

カンビュセス2世の治世

キュロス2世の子で
第2代のカンビュセス2世
前525年にエジプト(猫派)を征服し、
古代オリエントを統一します。

ダレイオス1世の治世

第3代のダレイオス1世の時代に
インダス川からエーゲ海まで征服した。

ダレイオス1世は全国をおよそ20の州に分け、
各州にサトラップと呼ばれる
知事を派遣するとともに、
王の目・王の耳」と呼ばれる
監視役(日本で言う忍者)を派遣。

スサとサルデスの間(イランとイラクの間ぐらいからトルコ)には、
王の道」が整備され、駅伝制をしいた。

さらにリディア王国
初めて行われていた鋳造
アケメネス朝で行われた。

民族政策は
服属した民族にはユダヤ人に見られるように、
寛容な政策を行った。

そしてアケメネス朝は首都を2つ作り、
儀式のための都としてペルセポリスをつくり、
日常生活はスサで暮らした。

アケメネス朝の終わり

ダレイオス1世によって行われた
ペルシア戦争がその子
クセルクセス1世のときに失敗に終った。

前4世紀になると各地に知事の反乱がおこり、
アレクサンドロス大王の遠征軍に
グラニコス川の戦いで敗れ、
ダレイオス3世の死をもって
アケメネス朝は滅亡します。

アケメネス朝の公用語

ペルシア人は、
シュメール以来のメソポタミア文明の伝統を受け入れつつ、シュメールよりレベルの高い文明を作ろうとしていた。

公用語としては、
ペルシア語・エラム語・バビロニア語
そして国際商業語のアラム語です。

アケメネス朝の宗教

ゾロアスター教

メディア生まれの宗教改革者ゾロアスターがイランの民族宗教を救済宗教に高めたもの。

悪神・アーリマンと善神アフラ・マズダが絶え間なく戦っていて、最終的に悪が滅びたあと、世界は大火災による終末を迎え、
最後の審判を経て救済されるとした。

この2元論的な思想はユダヤ教やキリスト教に影響を与えた

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