昭和時代初期 第1次若槻礼次郎内閣の政治-大蔵大臣の失言と金融恐慌- 2020年7月19日 第1次若槻礼次郎内閣は 三菱と結んだ憲政会を与党に組閣しました。 外務大臣は協調外交路線をすすめた幣原喜重郎です。 金融恐慌(1927年) 第52回帝国議会の開会中に、 震災手形処理2法案の審議中において、 片岡直温大蔵大臣が「東京渡辺銀行は破綻した」との旨を失言してしましました。 渡辺銀行の経営は確かに危うかったので... ベルヤン
大正時代 二十一カ条の要求-なぜ?その意味は?理由を簡単に解説- 2020年7月19日 サライェヴォ事件をきっかけに始まったのが、 第一次世界大戦でした。 https://xn--mprwb863iczq.com/%e3%82%b5%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%82%a7%e3%83%b4%e3%82%a9%e4%ba%8b%e4%bb%b6/ 日本は日英同盟を大義名分に連合国側で参戦しまし... ベルヤン
戦国武将 斎藤道三、親子の国盗り下剋上物語 2020年3月29日 「国盗り物語」のかつての通説 斎藤道三は、 山城国西岡やましろのくににしおかの浪人・松波基宗まつなみもとむねの子で、 幼くして京都妙覚寺に入り法蓮坊ほうれんぼうと名乗っていました。 やがて、俗世へ還俗して、 油商・奈良屋に入婿しました。 美濃国へ油の行商へいくうちに かつての兄弟弟子・美濃国常在寺・日運の推挙で、 土岐... ベルヤン
鎌倉時代 「惣領と庶子」~御家人も家に帰れば惣領に~ 2020年3月29日 惣領とは? 「一族の所領を惣領そうりょうする」から転じて、 一族の本家(宗家)の長を指すようになります。 庶子の統括役であり、 御家人役を務めました。 御家人=惣領 御家人は公の場で働いているときは、 御家人と呼ばれますが、 家に帰ってくると一家の主です。 家の中では、 惣領という立場にあります。 21世紀初期の価値観... ベルヤン
明治時代 明治時代における交通・運輸の近代化 2020年1月28日 近代化の一環として、 鉄道がはじめて日本に導入されました。 イギリスに遅れること約47年のことでありました。 鉄道(陸蒸気) 鉄道は当時は「金を失う道」とよんで揶揄する人もいました。 実際、年間21万円も鉄道事業で当時は儲かったそうです。 当時の男性の年収が3円70銭の時代でしたので破格の儲けです。 実際、誰かが金を失... ベルヤン
戦国武将 毛利元就、家督をつぐ~大内・尼子の間をめぐり~ 2019年10月16日 毛利氏、尼子経久につく 毛利氏を始めとする安芸国の国人衆は、 1523年6月に大内氏の安芸国の拠点・鏡山城を落とした 尼子経久に従っていました。 幸松丸の死 1523年7月15日に9歳で幸松丸は夭逝しました。 毛利元就の家督継承 1523年8月10日、 毛利弘元の庶子・毛利元就が主家の家臣15人の推戴を受け、 猿掛城か... ベルヤン
戦国武将 毛利元就の初陣と有田中井手の戦い 2019年10月16日 有田中井手の戦いの背景 武田元繁の独立 中国地方の多くの武将は、 大内義興おおうちよしおきに従っていました。 1515年、武田元繁は、 大内義興より独立します。 安芸有田城攻略 大内義興の配下で、 毛利家当主・毛利興元は、 武田元繁配下の安芸有田城を奪います。 城は、大内義興より吉川元経に与えられました。 毛利興元の死... ベルヤン
明治時代 地租改正の目的とその理由とその後の影響 2019年10月7日 土地問題と租税問題 様々な分野に、近代化をめざした投資をするためには、 多くの経費が必要でした。 そのため、政府の国家財政の基礎を固め、 財政を安定させることが重要な課題でした。 廃藩置県後、租税徴収権は政府の手に集中されましたが、 政府の財源である年貢は、 地域ごとで税率も一定しませんでした。 その上、豊作・凶作や米... ベルヤン