クロムウェルの侵略
クロムウェルの侵略以降、
土地の多くがイギリス人地主のものとされました。
アイルランド人は貧しい小作農家となっていました。
カトリック教徒解放法
1829年、カトリック教徒解放法が成立します。
これはアイルランド人に対する政治的・宗教的な差別解消に向けた法律です。
しかし、土地問題は未解決なままでした。
アイルランド大飢饉(ジャガイモ飢饉)
1840年代後半には、
アイルランドで発生したジャガイモの疫病が蔓延したために、
食料が不足するアイルランド大飢饉が起こりました。
この激しい凶作で数十万人の餓死者がでました。
また、食料を求めてアメリカへ向かう人々もでました。
この凶作をきっかけに、
アイルランド解放運動が進んでいきます。
小作人救済運動(3F運動)
アイルランド小作人同盟の要求が3つの頭文字Fでした。
- Fixity of Tenure(小作権の安定)
- Fair Rent (公正な地代)
- Free Sale(小作権の自由な売買)
アイルランド土地法
自由党のグラッドストン内閣は、
アイルランド土地問題で、
3F運動の趣旨をおおむね認めて、
アイルランド小作人の権利を保護するための法律、
1870年、アイルランド土地法を制定しました。
アイルランド自治法案
1886年と1893年の2回グラッドストン内閣から
議会に提出されたアイルランド自治法案でした。
しかし、
北アイルランドのプロテスタント(アルスター)や
保守党の激しい反対にあい、
アイルランド自治法案は流産しました。
アイルランド自治法
1911年の議会改革を経て、
1914年にアイルランド自治法が成立しました。
しかし、イギリス人プロテスタントの多い
北アイルランドはこれに反対し、アイルランド独立を主張する
シン・フェイン党と対立しました。
イースター蜂起
政府は第1次世界対戦勃発を理由に、
自治法の実施を延期すると
シン・フェイン党は反発して、
1916年に武装蜂起を起こしましたが、
鎮圧されました。
アイルランド文芸復興運動
ケルト語やケルト文学の復興、
ケルト神話や民間伝承などの発掘が行われ、
民族のアイデンティティ確立に大いに寄与しました。]]>
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