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太古時代

イザナギの北部九州平定~伊都国の降伏と「瑞穂の国」征服、そして縄文人追討の真実~

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大伽耶(だいかや)国の王子・イザナギ(農智推日)は、日本列島への進撃を開始し、博多湾の能古島を拠点として出雲から妻・イザナミを迎えました。 次なる目標は、当時「倭国大乱」の真っ只中にあった北部九州の完全なる平定です。

この記事では、イザナギがいかにしてかつての大国「伊都国」を降伏させ、広大な福岡平野(瑞穂の国)を征服していったのか。そして、その裏で行われていた「縄文人への残酷な追討」と、イザナミとの間に生じた決定的な価値観のズレについて詳しく解説します。

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伊都国の降伏と「新たな伊都国王」の誕生

博多湾の能古島に拠点を構えたイザナギは、いよいよ糸島半島を本拠地とする「伊都国(いとこく)」へと軍を進めました。

かつて伊都国は、後漢の光武帝から金印(漢委奴国王印)を授けられたほどの大国であり、海運を支配する安曇(あずみ)水軍の母体でもありました。しかし、長引く倭国大乱によってその勢力は衰退し、対馬や壱岐、糸島半島のみを領有する小国へと転落していました。 イザナギの強力な軍勢が迫ると、戦力差を悟った伊都国王はあっさりと降伏を申し出ます。

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弟・鐘楼の伊都国王就任と金印の行方

イザナギは降伏を受け入れ、旧伊都国王を退位させました。そして、新たな伊都国王として、自分の弟であり金官国の王でもあった**「鐘楼(農智星英)」**を任命したのです。 金官国と伊都国という、対馬海峡を挟んだ南北の重要拠点を一人の王に兼任させることで、朝鮮半島と日本列島を結ぶ物流と軍事のルートを完全に掌握する合理的な戦略でした。

退位した旧伊都国王は、後漢から授かった「金印」をイザナギには渡さず、密かに志賀島(しかのしま)へと持ち去り、自身の墓(支石墓)の下に埋めたと推測されます。これが江戸時代(1784年)になって志賀島で金印が発見される歴史的ロマンへと繋がっていくのです。

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「瑞穂の国(福岡平野)」の征服と七県の設置

伊都国を実質的な支配下に置いたイザナギは、さらに東へと進撃を続けます。

文国から那珂(なか)、糟屋への進出

イザナギはまず、福岡市西区付近にあった「文国(ふみこく)」を撃破し、小戸(おど)に新たな都を置きました。 その後、福岡平野の中央部、那珂川と御笠川の河口に広がる大水田地帯へと進出します。この地は当時**「那珂(なか)」**と呼ばれていました。「ナカ」とは古代の言葉で「南加耶(南の加耶)」を意味し、日本列島そのものを指し示す地名でもありました。

さらにイザナギは糟屋(かすや)方面へも進出し、降伏した安曇水軍の一族をこの地に封じ込めました。 福岡平野には数多くの小国が分立し激しく争っていましたが、イザナギの圧倒的な鉄製武器と精強な軍団の前に次々と降伏、あるいは撃破されていきました。イザナギは数年という短い期間で、見事に福岡平野一帯を平定したのです。

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「七県(なながた)」の誕生

最初、イザナギは水湾に面したこの広大な水田地帯を「瑞穂(みずほ)の国」と呼んでいました。しかし、内陸部へと進軍し、果てしなく広がる平野と幾重にも連なる集落を目の当たりにしたことで、この地を**「七県(なながた)」**という行政区画に定めました。 「ナナガタ」とは古代韓国語で「広々とした平野」を意味し、以降この福岡平野一帯は「七県」と通称されるようになります。

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縄文人の徹底的な追討とイザナミの悲しみ

イザナギの輝かしい征服活動の裏には、もうひとつの「血塗られた歴史」が存在していました。 イザナギ率いる軍勢は、脊振山地や三郡山付近へ進出した際、古くから日本列島に住んでいた石器人、すなわち**「縄文人」**の集落を見つけると、容赦無く襲撃しました。家に火を放ち、男は皆殺しにし、女は奴隷として連れ去るという野蛮な追討を繰り返したのです。

イザナギにとって、武力による征服と野蛮な異民族(縄文人)の徹底排除こそが国づくりの基本でした。福岡平野にはすでに弥生人が多く住んでおり、労働力や物資に不自由していなかったため、縄文人に情けをかける必要はないと判断したのです。

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夫婦の間に生じた決定的な亀裂

この残酷な政策に強く反対したのが、妻のイザナミでした。 イザナミが育った出雲の国は、人口が少なかったこともあり、縄文人を対等な国民として受け入れ、弥生人と共に協力して農作業を行うという「共存共栄」のあたたかい国でした。 縄文人への差別意識を持たないイザナミは、「彼らを殺すのはやめてください」とイザナギに懇願します。

しかし、イザナギは首を縦に振りませんでした。 「野蛮人を殺して何が悪い。我々は天神の子孫であり、野蛮人を排除して立派な国を創らねばならないのだ」

イザナギのこの冷酷な返答に、イザナミは深く絶望しました。縄文人を愛し平和を望むイザナミと、武力による制圧を絶対とするイザナギ。この「縄文人に対する価値観の決定的なズレ」は、やがて二人の仲を急速に冷え込ませ、修復不可能な亀裂を生んでいくことになります。

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まとめ:血塗られた建国と夫婦のすれ違い

大伽耶軍を率いたイザナギは、伊都国を降伏させ、数年で広大な福岡平野(七県)を平定するという圧倒的な軍事手腕を発揮しました。 しかし、その強引な征服は「縄文人への残虐な迫害」という血塗られた礎の上に成り立っていました。出雲の平和な風土で育った妻・イザナミとの間に生じた思想の決定的な違いは、この後の日本列島の歴史と「神話」の行方を大きく揺るがす火種となっていくのです。

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