古代の日本列島において、天孫族(太陽神の感化により卵から生まれたという伝説を持つ騎馬民族の思想を引く人々)が抱いた東方への強い憧れ。その象徴とも言えるのが「日高見国(ひたかみのくに)」という言葉です。
この記事では、天孫族が目指した最初の日高見国が大分県「日田市」であったという歴史的背景と、当時の邪馬台国との位置関係について詳しく解説します。
「日高見国」とは何か?
「日高見国」とは、「日の神」すなわち太陽の出る方向である**「東方の地」を意味する言葉です。天孫族にとってこの言葉は、これから征服すべき「夢と希望に溢れた肥沃な新天地」**を指し示すものでした。
興味深いことに、天孫族が征服を進めていくにつれて、この「日高見国」という名称(目標地点)は次々と東へ、そして北へと移動していきます。 一度その土地を征服してしまうと、そこはすでに自分たちの領土(ヤマト・倭国)の一部となるため、もはや「未開の日高見国」ではなくなります。そして、さらにその先の東方に新たな「日高見国」を設定していくのです。
最初の日高見国は大分県日田市だった
この果てしない東方進出の歴史において、一番最初に「日高見国」と設定された場所こそが、現在の大分県日田市であったと考えられます。
古くから、日田市一帯は「日高郡(ひたかぐん)」や「日鷹郡」と表記されていました。 つまり、「日高見国(ひたかみのくに)」という言葉が語源となり、日高 → 日鷹 → 日田と名称が変遷していった結果、現在の日田市という地名が誕生したのです。
邪馬台国の首都(朝倉市)から見た日田の位置
では、この日田という土地は、当時の邪馬台国の首都(高天原)から見てどのような位置関係にあったのでしょうか。
邪馬台国の首都は、現在の福岡県朝倉市(甘木地区)一帯にあったと推定されています。この朝倉郡から見て、日田市はまさに**「真東」**に位置しています。 朝倉郡から筑後川の上流へと遡り、三日月山や高井岳といった狭隘な渓谷を登り越えたさらに東の方向に、日田の盆地が広がっていました。
まとめ:東方への果てしない進撃のスタート地点
- 日高見国の意味: 太陽が昇る東方の地であり、天孫族がこれから征服すべき希望の新天地。
- 地名のルーツ: 日高見国が「日高郡」「日鷹郡」となり、現在の大分県「日田市」へと変化した。
- 地理的関係: 邪馬台国の首都(朝倉市)から見て、筑後川を遡った真東に位置していた。
天孫族(邪馬台国の人々)にとって、自分たちの首都の東方に位置する日田は、間違いなく**「最初の日高見国」**でした。そして、日高見国はアメリカ人から見た東へのフロンティアでした。彼らはこの日田を皮切りに、播磨、紀伊、大和、飛騨、武蔵、常陸、そして北上川下流へと、東へ東へと果てしない東方遠征の夢を追い求めていくことになります。

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