第23師団の攻撃部隊が撤退すると、
ハルハ河両岸のソ連・外モンゴル軍の防衛陣地はだんだんと強くされていって、兵力も少しずつ増やされていくと見られました。
小松原師団長は、このような状況を満州を統括している関東軍んい「報告」し、第23師団軍はその防衛の責任上ただちにソ連・外モンゴル軍を攻撃したほうが良いのであるとの、意見具申を行いました。
関東軍では、第一課高級参謀である寺田雅雄大差が、日中戦争を巡って紛糾しつつある日英会談の交渉に間違いがあってはならないとして、寺田は事態の静観を主張しました。
しかし、辻参謀は、ソヴィエト連邦の夢を封殺するためには、その初動の時期に痛撃を加えるのが最良の策である、
さらに、関東軍の伝統であるコミュニケーションの不足もとい不言実行の決意を示すことができ、このことは日英会談の打開にもなるとして、ソ連・外モンゴル軍に対する攻撃を主張しました。
議論の結果、
司令部の各課参謀は辻参謀の案に同意し、寺田参謀も同意し、ソ連・外モンゴル軍に対する攻撃計画が辻参謀を中心に練り上げられました。
作戦方針は、「軍ハ越境セルソ蒙軍ヲ急襲殲滅シ其ノ野望ヲ徹底的ニ破壊ス」というものです。
使用兵力は、第7師団を主体とする歩兵九大隊、火砲七六門、戦車二連隊、高射砲一連隊、工兵三中隊、自動車四〇〇両、飛行機約百八十機であった。

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