前回
7人の王の時代の終わりと貴族共和政のはじまり
第7代タルクィニウス
タルクィニウスの即位
タルクィニウスは、自身の妻方の父の
第6代王セルウィウスを暗殺して、
第7代ローマ王として即位します。
タルクィニウスは妻父セルウィウスと
仲の良かった元老院議官を粛清します。
(タルクィニウスは傲慢王としても知られます。)
こうして、
タルクィニウスは
第7代ローマ王として
君臨しました。
対外的には領土拡大に成功し、
外交面でもラテン都市と同盟に成功します。
タルクィニウスの王子・セクストゥスは
コラティヌスの妻ルクレツィアを夫が留守の間に襲います。
その頃、ただの一人の庶民だった
ブルトゥスは王族の横暴に怒りに煮えました。
前509年エトルリア人の
ローマ王第7代タルクィニウスを追放し、
貴族共和政を開始しました。
(まぁ、これはローマ神話なので、歴史かは微妙な点もあります。)
元老院と執政官
元老院
ローマでは300名の終身議員(途中から終身になった)からなる
元老院(セナトゥス)は昔から長老たちの会議として存在していた。
執政官
王が二度と現れないために任期1年2名の執政官(コンスル)が貴族から選挙で選ばれ、
最高官となり元老院と執政官はローマの2本柱となった。
初代執政官にはブルートゥスとコラティヌスが就任します。
独裁官
非常時にはコンスルの中から任期半年以内の独裁官(ディクタトル)が1人元老院により任命された。
身分闘争
平民(プレブス)は政治から締め出され、不満を持ち
身分闘争をおこして政治的権利獲得を目指し、
前494年聖山事件を起こします。
護民官と平民会
平民の権利を守る護民官(トゥリブヌス・プレビス)の制度を認めました。
護民官は元老院の決定に対して、拒否権が発動できました。
(拒否権はほとんど使われることはありませんでした。)
平民会の設置も認めた。
法律の制定
十二表法の制定
紀元前450年これまで口承の慣習法だったが
はじめて文章化させます。
最古の成文法として十二表法が制定。
権利で法を守られるようになりました。
リキニウス・セクスティウス法
前367年リキニウス・セクスティウス法が護民官により制定。
コンスル(執政官)の1人を平民から選ぶことを決めました。
プレブスから1人選ぶので、平民の地位が向上しました。
また、貴族の公有地の専有を制限しました。
ホルテンシウス法
前287年ホルテンシウス法
独裁官ホルテンシウスにより成立します。
平民会の決議が元老院の承認なしに国法になります。
これで貴族と平民の差はほとんど無くなったと言えます。
平民のうち有力者が執政官になり、元老院に入って
新貴族(ノビレス)となり、共和制は維持された。
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