徳島県・香川県の中学生のみなさん、そして高校入試を控えた受験生のみなさんへ。
今回は、鎌倉時代の1221年に起きた**承久の乱(じょうきゅうのらん)**をきっかけとした、香川県(讃岐国)のリーダー交代の歴史について解説します。実は、今の徳島や香川で活躍する政治家たちのルーツが、この800年前の事件に隠されています。
【入試の基本】承久の乱(1221年)をおさらい
- だれ vs だれ: 後鳥羽上皇(京都の朝廷) vs 北条義時(鎌倉幕府)
- 理由: 上皇が「幕府を倒して、天皇中心の政治を取り戻そう」として挙兵した。
- 結果: 幕府の圧勝。後鳥羽上皇は隠岐(島根県)へ流された。
- 影響: 幕府は上皇側についた武士たちの領地を没収し、自分たちに近い武士を新しくリーダー(守護や地頭)に任命した。
2. 讃岐(香川)のリーダー交代:後藤から近藤へ
承久の乱の前、香川(讃岐)を治めていたのは後藤氏(ごとうし)でした。
- 敗れた後藤氏: 当時のリーダー、後藤基清(もときよ)は上皇側について戦ったため、負けて処刑されてしまいました。
- 勝った近藤氏: 後藤氏の代わりに、幕府から新しく讃岐の守護に選ばれたのが、近藤国平(くにひら)という武士です。
これが香川の歴史における大きな**「バトンタッチ」**でした。
「後藤」が徳島に逃れて「後藤田」になった!?
香川のリーダーの座を追われた後藤氏の一族は、どうなったのでしょうか。
- 阿波(徳島)への逃亡: 負けた後藤氏の一部は、幕府の追及を逃れるために国境を越え、隣の阿波(徳島県)の山奥へ逃げ込みました。
- 「後藤田」への変化: 彼らは徳島の吉野川市美郷(旧・東山村)あたりに住み着き、地元の有力な一族だった**忌部氏(いんべし)と結びついたと伝えられています。そして、名前を「後藤田(ごとうだ)」**と改めました。
- 現代のつながり: 「カミソリ後藤田」と呼ばれた元副総理の後藤田正晴さんや、21世紀の徳島県知事の後藤田正純さんは、この時の後藤氏の子孫だと言われています。
「近藤」が「大平」になり「玉木雄一郎」へ続く
一方、新しく香川のリーダーになった近藤氏の子孫も、香川の歴史に深く根を張ります。
- 近藤から大平(おおひら)へ: 近藤氏の子孫は、のちに讃岐や土佐(高知)に勢力を広げ、地名から**「大平氏」**と名乗るようになりました。
- 大平正芳元首相: 香川県出身で内閣総理大臣を務めた大平正芳さんは、この大平氏の流れを汲む政治家です。
- 21世紀前半の玉木雄一郎氏: 国民民主党代表の玉木雄一郎さんは、実はこの大平正芳さんの遠い親戚です。大平家の全面的なバックアップを受けて政治家になり、今は大平さんがかつて地盤としていた香川2区を引き継いでいます。
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5. まとめ:高校入試対策ポイント
| 時代 | 香川(讃岐)のリーダー | その後の動きと現代のルーツ |
|---|---|---|
| 承久の乱の前 | 後藤氏 (上皇側) | 負けて阿波(徳島)へ逃亡 → 後藤田家へ |
| 承久の乱の後 | 近藤氏 (幕府側) | 大平氏へ → 大平正芳・玉木雄一郎へ |
テストに出る重要語句:
- 承久の乱(1221年):幕府の支配力が西日本(香川・徳島)まで広がった事件。
- 守護(しゅご):鎌倉幕府が国ごとに置いたリーダー。
香川で負けた「後藤さん」が徳島の「後藤田さん」になり、勝った「近藤さん」が香川の「大平さん・玉木さん」につながる……。こう覚えると、地元の歴史がもっと面白くなりますね!勉強がんばってください!





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