遠征の目的
元朝
1274年
南宋に対する総攻撃を開始。
一方、日本が日宋貿易を活発に行なっていたため、
元朝は南宋と日本が極めて親しい関係にあると認識。
南宋攻撃中に、背後から日本の派遣を懸念したモンゴルは、
日本に元軍の強さを見せつけるため、及び日本の出方を伺うために、
威力偵察を行うことが目的。
遠征の経緯
1274年10月
モンゴル人・漢人・高麗人の部隊2万7千人が朝鮮半島を出発。
博多湾から上陸。
日本は鎮西奉行武藤氏一族を中心に善戦するも太宰府まで敗走。
日本軍、5300人。
元軍も大きな損害にあったと見られ、(台風ではない)戦闘の継続は困難になった。
征服を諦め帰還。
これを日本は文永の役と呼んでいる。
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