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漢人

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宋の中央集権化

西夏(せいか)

唐末、黄河が曲がるオルドス地方で発生したチベット系民族がタングート族で東西交通の要衝の地である敦煌を押さえて、その利益で強大化した。初めの頃、太祖(趙匡胤)はオルドス方面に対して、羈縻政策(ゆるくつなぎとめる支配)を行っていたが、982年、...
宋の中央集権化

耶律阿保機の遼(大契丹国)建国から滅亡と西遼まで

遼の成立北アジアに強大な勢力をふるっていたトゥルク系のウイグルは、840年にイェニセ川上流のキルギスにより崩壊して、西遷します。これは北アジアの民族交替を意味します。ウイグル人からキルギス人へと変わっていきました。この間に現れたのがモンゴル...
モンゴル民族の発展

第1回日本遠征(文永の役)

遠征の目的元朝1274年南宋に対する総攻撃を開始。一方、日本が日宋貿易を活発に行なっていたため、元朝は南宋と日本が極めて親しい関係にあると認識。南宋攻撃中に、背後から日本の派遣を懸念したモンゴルは、日本に元軍の強さを見せつけるため、及び日本...
モンゴル民族の発展

モンケ・カン(モンケ・ハーン)

モンケの即位オゴデイ・カン(オゴタイ・ハーン)の長子、第三代皇帝グユクは即位後すぐに病弱のため、急死。ジョチ家とトゥルイ家はモンケを皇帝に推薦し、オゴデイ家とチャガタイ家はオゴデイの指定していたシレムンを推薦した。激しく対立したが、1251...
隋・唐時代の繁栄

律令体制における民衆支配

均田制北魏から始まった土地制度。唐の均田制では、丁男(ていだん・21~59歳の男)中男(ちゅうだん、ちゅうなん・16~20歳)一代に対し、口分田(北魏~隋までの露田)を80畝(ぼ)支給し、丁男に税を課し、永業田(代々世襲・作物は主に桑、隋ま...
魏晋南北朝

中国南北朝時代の南朝(六朝)について

東晋東晋成立後、華北から戦乱を避けるために、漢人の貴族や豪族、農民が移住した。発展が遅れていた長江の中下流域は、急速に発展した。宋の建国と南朝の成立東晋はおよそ100年続いたが、末期は政治が乱れ、華北への反攻で戦果をあげた武人出身の劉裕(り...
魏晋南北朝

北朝の北魏~北魏から隋にいたるまで

北魏道武帝(在位388年~409年)前秦が淝水ひすいの戦い(383年)で敗北したことをきっかけに、配下の諸部族が次々と独立しました。このときに鮮卑族の拓跋部たくばつぶ・拓跋珪たくばつ けいは、代王に即位して、ついで魏王となりました。三国時代...
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