サライェヴォ事件をきっかけに始まったのが、
第一次世界大戦でした。
日本は日英同盟を大義名分に連合国側で参戦しました。
今回は日本を中心に第一次世界大戦を見ていきます。
中国進出の好機とみた日本
日本とドイツの戦い
日本は第一次世界大戦を中国に進出する絶好のチャンスとして捉えました。
たとえば山東半島はドイツの租借地でもありましたし、
遼東半島を支配する日本にとってはまさに黄海を挟んで目と鼻の先でした。
また、1914年10月までに赤道以北のドイツ領南洋諸島をすべて占領しました。
多くの日本人は忘れてますが、
- パラオ
- ミクロネシア
- マリアナ諸島
- マーシャル諸島
は、日本の植民地だったのですね。
日本にとっては、欧州における戦乱はほぼ蚊帳の外でしたので、
あまり注目されてないうちに色々こそこそできたのでした。
袁世凱政府への21カ条の要求
さて、ヨーロッパの目がこちらに向いていないうちに、
日本は1915年1月、
当時・外務大臣の加藤高明が
中華民国の袁世凱政府に対して21カ条からなる
経済的・軍事的な権益を日本に認めさせる要求を突きつけました。
いわゆる脅しです。
権利と利益のことです。
今回は中国における日本の支配権と中国の富をいただくというものでした。
21カ条の要求の内容
- 山東省のドイツの旧権益を日本に継承
- 旅順・大連・南満州の租借の99カ年の延長(1997年まで)
- 漢陽・大冶などにおける鉄・石炭の権益取得
- 中国政府の財政・軍事顧問として日本人を採用すること
- 漢冶萍公司の日中合弁化
いずれも、中国政府の主権を無視するもので、
日本の強引な侵略政策であったため、
中国政府は強く反対した。
漢冶萍公司とは?
漢冶萍公司とは、
- 漢陽の製鉄所
- 大冶の鉄山
- 萍郷の石炭・炭鉱
を1つにまとめて作られた会社のことです。
対華二十一ヶ条の要求
第一号……第一条
支那国政府ハ独逸国カ山東省ニ関シ条約其他ニ依リ支那国ニ対シテ有スル一切ノ権利権益譲与等ノ処分ニ付日本国政府カ独逸国政府ト協定スヘキ一切ノ事項ヲ承認スヘキコトヲ約ス(中略)
21カ条要求の受容と承認
袁世凱政府に対して、1915年5月7日に最後通牒を突きつけ、
5月9日に16カ条を承認させた日です。
ちなみに、
中国では日本の圧力に屈した日とされ、
5月9日を国恥記念日といいます。
覚えておくといつか得するかもしれません。
日貨排斥運動
中国の民衆は、
21カ条要求を受けて、日貨排斥運動
すなわち日本製品ボイコット運動などを通し、
反日運動や排日感情を日に日に強めながら
民族運動を盛んにしていくこととなりました。
日本と欧米の関係の変化
欧米列強諸国も日本が中国に対してやっていることに気が付き、
日本の対中進出政策に対する警戒心を強めることになりました。
そこで、1917年、日本はヨーロッパに大日本帝国海軍を派遣して、
連合国軍の作戦に協力し、
アメリカとは石井・ランシング協定を結んで、
対中国のケーキの分け方について話し合った。
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