“イスラーム帝国”の成立
アッバース革命
750年、ムハンマドの親戚の子孫である
アブー=アルアッバースが
イラン北東部のホラーサーンを拠点に、
シーア派の反ウマイヤ運動や
マワーリー(アラブ人以外のムスリム)の協力を得て、
ウマイヤ朝によるアラブ人支配を倒し、
アッバース朝という新王朝を開いた。
以後、アッバース家がカリフの地位を世襲する。
カリフは『預言者の後継者』から
『神の代理人』にランクアップし、
ムハンマドよりも立場上は上になった。
この時代がイスラームとして
政治的にまとまっていた最後の時代である。
イスラーム教徒の平等
アッバース朝では民族差別が廃止されて、
アラブ人の特権であった
アラブ人以外に負担を強いられていたジズヤ(人頭税)が廃止されて、
アラブ人にも地税を課し、ムスリムの平等が実現した。
こういったアッバース朝の時代を「イスラーム帝国」という。
但し、建国に協力したシーア派は利用されただけでまもなく弾圧された。
タラス河畔の戦い
751年アッバース朝軍が
中央アジアで高仙芝率いる唐軍に勝利して、
唐軍の捕虜から製紙法がイスラーム世界に伝わった。
タラス河畔の戦い以後、中央アジアのイスラーム化が進んだ。
「黒衣大食」
アッバース朝は黒をシンボルカラーとしており、
中国名で「黒衣大食」とも呼ばれていた。
唐も陰陽五行説から黒を王朝のイメージとしており、
黒vs黒という黒を巡る戦いともなった。
第2代カリフ マンスール
中央集権化
マンスールは建国の際に功績があったイランのホラーサーン地方に住むアラブ人軍人の子孫であるホラーサーン軍を重用し、権力の支えとした。さらに租税庁や文書庁などの官庁にイラン人を採用し、諸官庁を統括する宰相(ワズィール)の職を創設。それから、駅伝制を整備し、中央集権国家として体制が進んだ。またカリフの地位を神格化したのもマンスールである。
新都・バグダード
ティグリス河畔西岸に新都・バグダードが建設された。この都は平安の都(マディーナ=アッサラーム)とも呼ばれ、三重の城壁に囲まれ、円形になっていた。カリフは円の中心の宮殿に住み、人前にはなかなか姿を現さず、神秘性が増大する中で、カリフ権神授の思想が生まれた。市街地はティグリス川の両岸に拡張し、各地の市場であるスークには世界中の富が集まってきた。
全盛期の第5代 カリフ・ハールーン・アッラシード
800年ごろ彼の時代にアッバース朝は全盛期を迎えた。ビザンツ帝国を破った。フランク王国のカール大帝と使節を交わした。カール大帝は巨象を贈られてごきげんだったようだ。
また、図書館(知恵の館)を建設したり、ギリシア語文献を集め、アラビア語へ翻訳して研究が進んだ。
官僚制度も整えられ、預言者ムハンマドの言行であるスンナのクルアーン(コーラン)を元に、イスラーム法(シャリーア)の整備が進んだ。
更に彼は『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』に登場する王のモデルとなっている人である。
奴隷
マムルーク
中央アジアのトルコ系遊牧民である奴隷を買って軍人とした。これをマムルークと呼ぶ。彼らは立場上は奴隷だが、専門の訓練を受けたエリート軍人であり、功績により富も地位も手に入れることが可能だった。
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