歴史は繰り返さないが、
韻を踏む
筆者はまもなく大規模な災害がくると予想しています。
それは浅間山噴火や天明の大飢饉のような。
田沼意次の頃のような
賄賂政治は掃除されつつありますが、
まだ、忘れてはいけないことがあります。
という訳で、
江戸時代後期を田沼意次から区切って、
田沼意次時代・寛政の改革・大御所時代にかけて、
江戸時代後期として書いていきます。
今日は田沼意次の
沼の埋立について述べます。
印旛沼と手賀沼の開拓事業(失敗)
田沼意次は印旛沼と手賀沼の干拓を行いました。
開拓と干拓のちがいはわかりますか?
干拓は水を抜く作業です、
印旛沼は霞ヶ浦湖ではありません。
今現在の千葉県北部にあった大きな沼です。
西の方が手賀沼、真ん中あたりが印旛沼です。
喧嘩と火事は江戸の華と言いますが、
実は江戸近辺は洪水も多かった。
江戸時代から明治時代にかけて、
河川は埋立てられていった。
その一環として、
千葉県でも埋立事業が国家プロジェクトとして進められました。
この事業は田沼意次の失脚と、
大洪水のためやり直しになった部分もあり、
結果、失敗します。
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