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田沼意次③干拓事業(印旛沼・手賀沼の干拓)

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歴史は繰り返さないが、
韻を踏む

筆者はまもなく大規模な災害がくると予想しています。
それは浅間山噴火や天明の大飢饉のような。

田沼意次の頃のような
賄賂政治は掃除されつつありますが、
まだ、忘れてはいけないことがあります。

という訳で、
江戸時代後期を田沼意次から区切って、
田沼意次時代・寛政の改革・大御所時代にかけて、
江戸時代後期として書いていきます。

今日は田沼意次の
沼の埋立について述べます。

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印旛沼と手賀沼の開拓事業(失敗)

田沼意次は印旛沼と手賀沼の干拓を行いました。

開拓と干拓のちがいはわかりますか?
干拓は水を抜く作業です、

印旛沼は霞ヶ浦湖ではありません。

今現在の千葉県北部にあった大きな沼です。
西の方が手賀沼、真ん中あたりが印旛沼です。

喧嘩と火事は江戸の華と言いますが、
実は江戸近辺は洪水も多かった。

江戸時代から明治時代にかけて、
河川は埋立てられていった。

その一環として、
千葉県でも埋立事業が国家プロジェクトとして進められました。

この事業は田沼意次の失脚と、
大洪水のためやり直しになった部分もあり、
結果、失敗します。

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