ポルトガルの東インド航路の発見

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国土回復運動をいち早く成し遂げ、
中央集権型の国家を完成させたのが、
ポルトガルでした。
ポルトガルは15世紀前半、
アフリカ西海岸の探検に乗り出します。

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航海王子・エンリケ

15世紀後半、航海王子と呼ばれた
エンリケ(Henrique/1394年~1460年)は、

  • サグレス岬に研究所造営
  • 航海術や天文学の研究を進める
  • 航海者を養成

するなど、ポルトガルの航海レベルの向上に大きく貢献した。
西アフリカ海岸探検や、
東インド航路探検に次々と航海者を派遣。
1447年にはアゾレス諸島に到達します。

喜望峰の発見

ジョアン2世(João 2/在位1481年~1495年)の時代に、
バルトロメウ・ディアス(Bartolomeu Dias/1450年頃~1500)の船隊が、
アフリカの南端の南に達し、嵐の岬を見つけました。
ジョアン2世は喜望峰と名付けました。
東アフリカの情報も、
ジョアン2世によって派遣された使節
ペーロ=ダ=コヴィリャンとアフォンソ=ダ=パイヴァによってもたらされた。

東インド航路の発見

1497年7月、3隻の船、168人の乗組員でリスボン港を出発した
ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama/1469年頃~1524年)の船体は、
喜望峰をまわり、
アフリカ東岸マリンディで水先案内人を雇いいれ、
インド洋を横切りインドまで直行します。

1498年5月20日ついにインド西海岸のカリカット(Calicut)に到達します。

ムスリム商人の妨害に遭いながら、
若干の香料・宝石を抱えて、
1499年9月リスボン港に戻りました。
乗組員の1/3と2隻の船しか帰ってこれませんでした。
この航路により、
香辛料の価格は安くなり、
莫大な利益を上げられるようになりました。

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