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ウィーン体制

ギリシア独立戦争~甘やかされた支援とウィーン体制の動揺~

16世紀以来、オスマン帝国の領土だったギリシアでしたが、ナショナリズムが高揚して、19世紀はじめに独立運動がおこりました。そこへロシア・イギリス・フランスが東地中海地域への進出を目論んで独立支援にまわり、ギリシア独立戦争が勃発します。
帝国主義と列強の展開

帝国主義の時代~帝国主義の展開~

現代に至る、欧米諸国とイスラーム過激派組織ISISをはじめとするアラブ諸国の対立の根幹はここにあるのではないかと推察するにいたり、ここに書き記す。帝国主義とは?資本主義の欧米列強国(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど)が、非欧米諸国を...
平安時代中期

平安中期の地方政治の混乱~荘園の爆増と国司の行政官→徴税請負人への変質~

荘園制度編荘園とは地方豪族や有力農民が、9世紀後半までに院宮王臣家と組んで、開墾した自らの田(墾田)のこと。荘園をどんどん増やしていった。荘園の変遷初期荘園(墾田地系荘園)8世紀から9世紀にかけての荘園を初期荘園といいます。初期荘園は墾田地...
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ヨーロッパ世界の形成と発展

ゲルマン人の大移動の始まり

ゲルマン人とは起源ゲルマン人はバルト海沿岸やユトランド半島の森林や沼沢地(しょうたくち)に住んでいたインド=ヨーロッパ語族の民族。現在のヨーロッパの人種の大多数を占める。西ヨーロッパにかけて暮らしていたケルト人をゲルマン人が進撃し、カエサル...
イスラーム世界

テュルク人(トルコ人)の時代~セルジューク朝・カラハン朝・ガズナ朝~

テュルク人の西方移住テュルク人(トルコ人)はもともと。モンゴル高原に居たが、テュルク系のウイグルがテュルク系のキルギスに倒され西へと敗走。その後、中央アジアで遊牧生活を送っていたテュルク人は,人口増加のためにまた西方へと移住を開始する。テュ...
平安時代初期

嵯峨天皇の政策-平城太上天皇の乱(薬子の変)と蔵人頭の設置-

平城太上天皇の変・薬子の変・奈良坂の戦い平城上皇の重祚をはかって失敗に終わった事件。変の概要平城天皇の譲位諸国の役人をチェックするための役人として観察使という令外官を置いたことで知られる、桓武天皇の子・平城天皇(へいぜいてんのう)は809年...
宋の中央集権化

宋代の文化-士大夫が中心となった「ひきこもり」の繁栄の特徴-

宋代の学問・思想宋学(朱子学)経典の字句解釈ばかりだった漢~唐にかけての訓詁学を否定し、代わりに宇宙論や人間論を展開し、同時に知の実践に重んじた新たな儒教学。北宋の周敦頤(しゅうとんい)は太極図説(たいきょくずせつ)を書き、宇宙論からの、道...
宋の中央集権化

靖康の変と北宋の滅亡

靖康(せいこう)元年(1126年)の冬、金は宋のこれまでの嘘や約束違反を責めて、開封を占領。莫大な財貨や芸術品とともに、上皇徽宗や皇帝欽宗、宗室や官僚総勢約3000人が北に拉致された。これを年号をとって靖康の変(せいこうのへん)という。北宋は滅亡した
宋の中央集権化

耶律阿保機の遼(大契丹国)建国から滅亡と西遼まで

遼の成立北アジアに強大な勢力をふるっていたトゥルク系のウイグルは、840年にイェニセ川上流のキルギスにより崩壊して、西遷します。これは北アジアの民族交替を意味します。ウイグル人からキルギス人へと変わっていきました。この間に現れたのがモンゴル...
モンゴル民族の発展

元末の情勢と紅巾の乱

元末の情勢元末の混乱14世紀、クビライの次の成宗の死後、帝位継承をめぐり相続争いが続いた。帝位継承制度がクリルタイのままだったので、一族の権力争いが続いた。代表的な例として、上都派と大都派にわかれた混乱である天暦の内乱が起こる。それに加えて...
モンゴル民族の発展

元の成立と大都の建設-クビライのクーデタ-

元の成立モンケの死によって、後継者を決めなくてはならなくなりました。しかし、モンケの子供たちは20代と若く即位できず、モンケの弟のフレグは遠征中のため即位できませんでした。そのため、後継者はクビライ(フビライ)とアリクブケ(アリクブカ)に絞...
モンゴル民族の発展

モンケ・カン(モンケ・ハーン)

モンケの即位オゴデイ・カン(オゴタイ・ハーン)の長子、第三代皇帝グユクは即位後すぐに病弱のため、急死。ジョチ家とトゥルイ家はモンケを皇帝に推薦し、オゴデイ家とチャガタイ家はオゴデイの指定していたシレムンを推薦した。激しく対立したが、1251...
モンゴル民族の発展

オゴデイ・カン(オゴタイ・ハン)の治世

オゴデイの即位クリルタイで推されて、即位したチンギス・カンの第三子オゴデイ。対金戦争チンギス・カンの再開した対金戦争を継承し、三方(オッチギンの左翼軍、オゴデイの中央軍、トゥルイの右翼軍)から金を攻略を試みる。トゥルイvs金1232年、トゥ...
モンゴル民族の発展

蒼き狼の大モンゴル帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)の建国

最初は弱小のモンゴルのテムジンは、父は殺され、妻は孕ませられ、散々でしたが一族を率いるときがやってきて、ユーラシアの覇王となる日がやってきます。それでは見ていきましょう。
ヨーロッパ世界の形成と発展

【ハンガリー】フン族のリーダー、アッティラの墓発見

ブダペスト|ハンガリー国会議事堂でのドナウ川に新しい橋の基盤を構築する建設労働者は、壮大な5世紀の墓を発掘してきた。記念碑の分析は、それが最も可能性が高いという王アッティラ自身の、偉大なフン族のリーダーの埋葬室であることを明らかにした。「こ...
古代インド・東南アジア

スコータイ王朝の建国から滅亡まで~首都は?場所はタイ?~

タイ系諸族ベトナム北部からビルマ東北部にかけて住んでいる。歴史的背景南詔国とタイ系民族の南下7世紀半ば頃より、南詔国の都・大理周辺で暮らしていたとされるが、その辺りより東南アジアに南下し、バーンと呼ばれる小さな村落を作っていた。その後、バー...
古代インド・東南アジア

消滅した民族「ピュー人」

1世紀頃、イラワディ川(エーヤワディー川)中流域にはチベット=ミャンマー語族のピュー人(驃人/ひょうじん)(テュルチュルと自称)が都市国家を作っており、南部にはモン人が住んでいた。ピュー人ピュー人はエーヤワディー川周辺のプローム地方を中心に...
古代インド・東南アジア

モン人~忘れられた東南アジアの原住民~

モン人とは?ミャンマー南部・タイ中部西部などに住んでいた民族のこと。チャオプラヤ川(メナム川)一帯にはモン人が住んでいた。ドヴァーラヴァティー王国ドヴァーラヴァティー王国はそのモン人の国。ナコンパトムが主邑であった。モン語を使用し、インド文...
ローマ世界とキリスト教の成立

キリスト教の成立と発展

パレスチナでは前6世紀頃、ヘブライ人の一神教をユダヤ教として確立。ヘレニズム時代にユダヤ人は一時独立するもローマの属州となった。ヘロデ王のときにローマに服属する王国となった。ユダヤ教パリサイ派神の戒めである律法を細かく研究し、ユダヤ教の知識...
ギリシア世界とヘレニズム世界

ギリシア文化①~文学史など~

ギリシア文化の特徴人間的で明るく、合理性を重んじるオリンポス十二神主神ゼウス・妻ヘラ・海と大地の神ポセイドン・知恵の神アテナ・太陽神アポロン・美の神アフロディテなどオリンポス十二神以外では葡萄酒の神デュオニュソスが有名。文学ホメロス「イリア...
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